佐倉歴史探索:本佐倉城跡~佐倉順天堂~旧堀田邸~武家屋敷


- GPS
- 08:01
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 143m
- 下り
- 158m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
「関東ローム層」という関東独特の土壌が関与している。
関東ローム層は、赤土の粘土質で、水を含むと土同士の結束力が強固になり、乾燥しても割れにくいという特徴がある。だから、一度構築した施設は壊れにくい。
また、ねちゃねちゃして滑りやすいから、敵軍も攻めにくいという利点もある。
よって、石垣に頼らずとも堅固な城造りが可能だった。
理由は、主に以下の3つ。
①江戸時代は、多くの大名が房総半島に領地を保有していた。当時は、一国一城制だったので、必然的に城が多くなった。
②房総半島は、江戸に近いため、防衛の拠点として城を築く必要があった。
③房総半島は、平野が多く、城を築くのに適していた。
感想
千葉県佐倉市は、歴史を感じる城下町。
「本佐倉城跡」を見学してから、「佐倉順天堂」、「旧堀田邸」、「武家屋敷」の3つの施設を巡ってきました。
▶︎本佐倉城跡
佐倉城跡と同様、石垣はなく、全て土塁でできている。
【疑問① 】関東では、江戸城、石垣山城、小田原城、金山城を除き、石垣ではなく、土塁の城が多いのは何故か❓
答えは、写真の中で。
【疑問②】本佐倉城跡案内所で資料を見ていたら、房総半島(千葉県)に城が集中しているが、これは何故か❓
答えは、写真の中で。
▶︎佐倉順天堂:近代医学発祥の地
佐倉順天堂は、1843年に佐藤泰然(たいぜん)が佐倉に創始した蘭学塾である。
佐倉順天堂の設立以降、「西の長崎、東の佐倉」と言われたほど、オランダ医学の黄金時代がここに築かれた。
泰然の外科手術の特徴は、麻酔を使わないことだった。
麻酔薬による中毒死を懸念してのことだが、無麻酔で、卵巣水腫、帝王切開、乳癌、痔瘻、四肢切断まで行い、しかも成功したとされている。
展示されている手術道具を見たが、骨切り、弾抜きなどはまるで大工道具のようだし、膿出しに使ったという針はすごく太い。
これらを無麻酔で用いたとは驚きを隠せない。
手術例を見てみよう。
手術例①【盲腸炎と思われる13歳女児の事例】
患部の近くに水蛭50匹を貼って炎症と痛みを軽くした。炎症が落ち着いてから腫脹の部を切り開いたら、悪臭のする血の混ざった膿汁が5、6オンス出た。患者は、脈が鎮静となり、大いに衰弱した。切開の翌日から膿は減り、食欲も増して快方に向かった。
手術例②【43歳の農家の女性の左胸乳癌の事例】
左の乳房にできた癌を取る1時間ほどの手術で、手術の間、患者は痛かったが、思ったより苦痛と出血は少なかった。術後3時間ほど眠った後に、ご飯を食べた。
要するに、二人とも痛みのため、気絶したことが伺える。
ほぼ拷問に近いものと思う。
泰然は、患者からの訴えを予想して、「手術承諾書」を作り、患者とその家族と交わしていた。
万が一、手術中に死んでもいささかも恨まないようにとの旨が書かれている。
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