赤神神社 五社堂


- GPS
- 00:28
- 距離
- 1.0km
- 登り
- 103m
- 下り
- 104m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
ナマハゲの歴史を感じる登山
赤神神社五社堂(あかがみじんじゃ ごしゃどう)は、秋田県男鹿市の北端、寒風と荒波が打ち寄せる日本海を見下ろす標高約170 mの「門前台地」にひっそりと並ぶ五つの朱塗りの小社です。地元では単に「五社堂(ごしゃどう)」と呼ばれ、鬼の面をかぶった来訪神「ナマハゲ」と深く結びつく聖地として知られています。999段の石段を登り切った先に忽然と現れる五つの社殿は、江戸中期(延宝3年[1675]の棟札が現存)に再建されたもので、1996年に国の重要文化財に指定されました。ここでは、その歴史・伝承・建築・信仰・行事などを、できるかぎり多角的にご紹介します。
1. 立地と環境
五社堂へ至る石段は、山内(さんない)の杉木立に囲まれ、夏は深い緑陰、冬は雪化粧に包まれます。途中、海蝕崖の向こうに群青の日本海が覗き、運がよければ遠く男鹿三山や寒風山の稜線を望むこともできます。石段の段数が「999段」で止まる理由は後述する鬼伝説と関係し、登拝そのものが参拝者にとって一種の修行となっています。麓には岩倉が転がり、湧水が流れ、海から吹き上げる湿った潮風が常に社叢を浄めているかのようです。
2. 創祀と歴史的背景
寺社縁起や地元の『男鹿雑記』などによれば、五社堂の起源は飛鳥〜奈良時代に遡るとも、慈覚大師円仁が嘉祥3年(850)に勧請したとも伝わります。いずれにせよ山岳仏教・修験道の霊場として早くから栄え、平安末期には本山派山伏が常駐し、男鹿半島の海上交易と結び付いた経済力を背景に社殿の整備が進みました。中世には安東氏、近世には佐竹氏の庇護を受け、江戸前期の寛永12年(1635)の大風で倒壊した後、延宝年間に現存の五棟が再建されたと考えられています。
3. 鬼伝説とナマハゲの源流
五社堂最大の魅力は、鬼(ナマハゲ)と結びつく民俗伝承でしょう。最もよく語られるのが「千刃石段(せんばのいしだん)と五鬼伝説」です。
・昔、中国の皇帝に仕えていた五匹の鬼が男鹿に流れ着き、田畑を荒らし娘をさらって里人を苦しめた。
・困り果てた里人は鬼に「今夜中に1000段の石段を築ければ娘を差し出す。できなければ山へ帰れ」という賭けを持ちかけた。
・鬼は夜を徹して石を積み上げ、あと一段で1000段というところまで来たが、鶏の鳴きまねで夜明けを偽装した里人に騙され、鬼は悔しがりつつも約束を守って去った。
・帰り際に鬼を鎮め、善神として祀ったのが五社堂である。
こうした物語は、来訪神が「災厄をもたらす異形の存在」から「福を授ける守護神」へと転化するプロセスを象徴しています。毎年大晦日〜正月にかけ、男鹿各地で行われるナマハゲ行事は、この五鬼を祖形とし、五社堂の御祭神が山から里へ降りて人々を戒め・祝福して帰るという信仰的構造を今に伝えています。
4. 五つの社殿と祭神
東から順に「東社」「中東社」「中社」「中西社」「西社」と並び、それぞれ次のような神々を祀るとされます(資料により諸説あり)。
① 東社:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
② 中東社:伊弉冉尊(いざなみのみこと)
③ 中社:月読尊(つくよみのみこと)
④ 中西社:素戔嗚尊(すさのおのみこと)
⑤ 西社:大日霊尊(おおひるめのみこと=天照大御神)
鬼=荒ぶる霊を鎮め、さらに国家鎮護・五穀豊穣を祈願する、という修験的・神仏習合的世界観が色濃いラインナップです。社殿内部にはそれぞれ彩色を施した木造神像が安置され、経年で落ち着いた朱色が薄明かりに浮かぶ様子は厳粛そのものです。
5. 建築的特徴
五社とも一間社隅木入春日造、柿(こけら)葺きの屋根で、軒唐破風や虹梁(こうりょう)・蟇股(かえるまた)に華麗な彫刻はなく、むしろ質素で量感のある意匠が特徴です。
・側面には角柱を貫で固め、頭貫にわずかな絵様彫を施す程度。
・向拝の柱間装飾として極小の木鼻を付け、波や雲をイメージした素朴な刳(く)りが見られる。
・屋根は男鹿特有の厳風雪に耐えるよう、反りを抑え重心を低く設計。
・五棟が等間隔で横一列に建つ「横並び五社」は全国的にも珍しく、吹きさらしの台地で互いに風を受け流す工夫といわれます。
再建年次と大工棟梁の名を刻んだ棟札が中社にあり、桁行・梁間の寸法はすべてほぼ同一ながら、細部に微妙な差異があり、地元大工集団が数年かけて順次建立した様子が窺えます。
6. 年中行事と信仰生活
・正月「柴灯(せど)祭り」:1月第2土曜、五社堂の分霊を祀る真山神社で行われ、松明の炎の中をナマハゲが練り歩く勇壮な神事。
・2月「節分会」:鬼を祀る社として豆まきではなく団子撒きを行い「鬼は内、福は内」と唱える珍しい作法が残る。
・4月「御山開き」:積雪が解け石段と社殿を清める修祓式。海上安全と豊漁を祈った漁師の山参りと重なる。
・7月「夏越大祓・茅の輪くぐり」:男鹿の夏祭りの幕開けを告げ、輪の材料には海浜植物ハマヒルガオの蔓が交じるのが特色。
・旧暦9月「五社堂例祭」:五基の神輿が山を下り海辺まで渡御し、鬼面を着けた若者が神輿に付き従う。
7. 文化財としての価値
専門家の調査によれば、五社堂は北東北における「神仏習合期の山嶺堂舎」の最後期遺構であり、特に①直線的な横並び配置、②各社が独立しながら全体で一つの本殿機能を果たす「分霊合祭」形式、③海からの霊威(荒魂)を山上で鎮め里へ還元する「三位一体の信仰圏」を示す、といった点が全国的にも希少とされています。重要文化財指定理由も「地域的特色と山岳信仰の融合を示す優品」と明記され、歴史・民俗・建築の各分野で高い価値を誇ります。
8. 訪問の心得とアクセス
登拝時間は片道20〜30分。石段は苔むして滑りやすく、雨天・積雪時は必ず滑り止めの効いた靴を用意してください。途中にトイレや自動販売機はありません。JR男鹿駅から路線バスで「五社堂入口」下車、徒歩約15分で石段の起点に到達します。麓には無料駐車場も整備済み。社殿周辺は携帯圏外になることが多いため、事前に地図をダウンロードしておくと安心です。なお、冬季は積雪で石段が埋まり通行止めになる日があります。最新情報は男鹿市観光協会の公式サイトで確認を。
9. 心に残る情景
夕刻、参拝を終えて石段を下り始めたとき、朱塗りの社殿が藍色の水平線に溶け込む瞬間があります。潮騒と杉の葉擦れが交差し、はるか昔、荒ぶる鬼として恐れられた存在が、今では豊穣と安寧を願う守護神として人々に寄り添う??その歴史の重層性が、静かに胸に迫ります。「鬼は神へ、祟りは祀りへ」と昇華させてきた日本人の知恵を実感できる場所、それが赤神神社五社堂なのです。
男鹿を訪れる機会があれば、ぜひ999段を一歩一歩踏みしめ、五体の社殿が醸し出す悠久の時に身を浸してみてください。きっと山を降りる頃には、荒々しい海風さえ肩を押してくれるような、不思議な清涼感と力強さが宿っていることでしょう。
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