【放牧からの帰還その2】250815の(2) 震災遺構巡り(明戸海岸防潮堤、鳥越駅メモリアル、田老周辺、中浜メモリアル)


- GPS
- 01:38
- 距離
- 3.6km
- 登り
- 20m
- 下り
- 2m
コースタイム
- 山行
- 3:18
- 休憩
- 0:08
- 合計
- 3:26
天候 | 晴れ 気温が高い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
アクセス | |
その他周辺情報 | 道の駅「たのはた」 |
写真
感想
階上岳から下ってから自家用車とともに岩手県入りした。(階上山頂は岩手県との県境なのですが、車は階上町側に降りてきた。)
岩手県北部の震災遺構ということで検索すると、田野畑村の2箇所が出てきた。一つは明戸海岸、そして鳥越駅である。明戸海岸はかつて防潮堤があった所だ、それが津波で崩れ、そのまま遺構となっている。鳥越駅は、駅自体が流されてしまったが、階段や宮沢賢治の詩碑は流されずに残った。それらをまず見に行くこととした。
明戸海岸は私が来たときに家族連れが1組車で去ったので、貸切状態で見ることができた。流されて無くなった部分と残った部分、沖にあった消波ブロックが流れ着いていたことなど、本当に自然の力強さを感じることができる。
今まで何度も津波を防いできた防潮堤もこのM9の津波には耐えられず流されて、砕けて、バラバラになってしまった。大きな被害を生んだのだが、少しばかりかは住宅地に津波が来るのを遅らせたということもあったそうだ。今はさらに高い防潮堤ができている。なん百年後の地震の時に「ああ、よかった」とみんなで思えるような時が来るだろうか。
鳥越駅は、残った物も残った物だが、再び駅を建ててしまう人たちに驚く。しかも駅名に「カルボナード」という名前を名付けるなんて、もう・・・。ちなみに隣の田野畑駅には「カンパネルラ田野畑駅」という名前を付けたそうだ。そうか、今立っている大地はイーハトーブなんだということを思い起こさせるような名前であった。
その後昼食を道の駅でとり、さらに南下して行く。旧田老町、道の駅「たろう」に車を置いて散策した。
今は宮古市と合併しており「田老町」という名前はなくなっているが、震災当時の遺構が大いに残っている場所でもあった。その一つが「たろう観光ホテル」跡である。3階上部まで襲った津波、2階までは鉄骨のみしか残らず、3階は屋根まで水に浸かった跡がある。4階から上は平和な雰囲気を今でも保っている。もちろんこの地域にも高い防潮堤があったのだが、それも乗り越えて津波がやってきたのだ。観光ホテルを見てから駅の方に向かった.そして、その途中の記念施設を見て涙してしまったのである。ここは、宮古市全体の保存施設になっているようだ。展示品もそうだが、まとめた内容が思わず見にいってしまうような状況、本当に語っているような気がする。
施設を見て、駅に行き、道の駅で車を回収。最後にミャンプ場が被害にあったという中ノ浜に行き本日最後の撮影を行った。本来ならば天井まであった炊事場が下の基礎部分のみになってしまっている。本当に津波の持っている力に脱帽するばかりだ。
こうして、レコ2つになるような長い1日が終わった。その後、釜石市の道の駅で夜を明かした。
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