(はじめに)
この7−7章と、次の7−8章、7−9章では、東北地方の背骨ともいえる、奥羽山脈の山々について説明します。
※ 注; この7−7章「奥羽山脈」の項は、2021年の初版リリース時には、火山性の山々について、きわめて簡単な解説しかしていませんでした。その後、この連載の方針を変更し、火山性の山々についても、形成史を中心に詳しく解説することとしました。
そこで、2024年1月に、「奥羽山脈」の項を大幅に見直して、元の7−7章を、7−7章、(新)7−8章、(新)7−9章の3つの章に分割し、個々の山々について、より詳しく解説しました。
そのため、章番号が、初版時とは変更となっています。あしからずご了承ください。
さて、奥羽山脈は、東北地方のほぼ中央部に、北は八甲田山から南は磐梯山まで、約500kmもの長さで、ほぼ直線的に南北に連なる長大な山脈です。この山脈は、隆起した山脈の中に、多数の火山があるという構造をしています。
奥羽山脈は、登山対象となる山々が多く、特に百名山クラスの著名な山々は、ほとんどが火山です。なお有名な火山群に隠れた感じではありますが、非火山の山々もあります。
奥羽山脈は、登山対象となっている山々が多く、説明が長くなるので、3つの章に分割して説明することにします。
まずこの7−7章では、奥羽山脈のうち北半分にある火山性の山々(八甲田山から栗駒山まで)について、主に形成史を中心に説明します。
次の7−8章では、奥羽山脈の南半分にある火山性の山々(蔵王連峰から磐梯山まで)について、主に形成史を中心に説明します。
7−9章では、奥羽山脈の山々のうち、非火山性の山々の地質、及び、奥羽山脈の隆起に関する事項を説明します。
この(改訂版)7−7章では、章の名称も「奥羽山脈北部の火山群」と改題し、以下、奥羽山脈北半分の代表的な火山(「八甲田山」から「栗駒山」まで)について、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)を元に、北から順に、その概要と形成史を説明します。
なお、火山岩の種類について、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)の記載を元としましたが、一部は、産総研「シームレス地質図v2」を参照しました。
また、活火山かどうかは、インターネット上の気象庁の「活火山リスト」(文献3−a)、および(文献4)に記載の、「日本の活火山リスト」、を参照しました。
※ 注; この7−7章「奥羽山脈」の項は、2021年の初版リリース時には、火山性の山々について、きわめて簡単な解説しかしていませんでした。その後、この連載の方針を変更し、火山性の山々についても、形成史を中心に詳しく解説することとしました。
そこで、2024年1月に、「奥羽山脈」の項を大幅に見直して、元の7−7章を、7−7章、(新)7−8章、(新)7−9章の3つの章に分割し、個々の山々について、より詳しく解説しました。
そのため、章番号が、初版時とは変更となっています。あしからずご了承ください。
さて、奥羽山脈は、東北地方のほぼ中央部に、北は八甲田山から南は磐梯山まで、約500kmもの長さで、ほぼ直線的に南北に連なる長大な山脈です。この山脈は、隆起した山脈の中に、多数の火山があるという構造をしています。
奥羽山脈は、登山対象となる山々が多く、特に百名山クラスの著名な山々は、ほとんどが火山です。なお有名な火山群に隠れた感じではありますが、非火山の山々もあります。
奥羽山脈は、登山対象となっている山々が多く、説明が長くなるので、3つの章に分割して説明することにします。
まずこの7−7章では、奥羽山脈のうち北半分にある火山性の山々(八甲田山から栗駒山まで)について、主に形成史を中心に説明します。
次の7−8章では、奥羽山脈の南半分にある火山性の山々(蔵王連峰から磐梯山まで)について、主に形成史を中心に説明します。
7−9章では、奥羽山脈の山々のうち、非火山性の山々の地質、及び、奥羽山脈の隆起に関する事項を説明します。
この(改訂版)7−7章では、章の名称も「奥羽山脈北部の火山群」と改題し、以下、奥羽山脈北半分の代表的な火山(「八甲田山」から「栗駒山」まで)について、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)を元に、北から順に、その概要と形成史を説明します。
なお、火山岩の種類について、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)の記載を元としましたが、一部は、産総研「シームレス地質図v2」を参照しました。
また、活火山かどうかは、インターネット上の気象庁の「活火山リスト」(文献3−a)、および(文献4)に記載の、「日本の活火山リスト」、を参照しました。
1) 「八甲田火山群」と、「十和田カルデラ火山」
まず、この第1節では、奥羽山脈の最北部の火山として「八甲田山」を「八甲田火山群」として、その形成史を説明します。
また、八甲田山の南にある「十和田湖」は、登山対象の山というより観光地ですが、「八甲田火山群」とも関連した火山性地形なので、この第1節で説明します。
また、八甲田山の南にある「十和田湖」は、登山対象の山というより観光地ですが、「八甲田火山群」とも関連した火山性地形なので、この第1節で説明します。
(1−a)八甲田山(八甲田火山群)
八甲田山は、青森県中央部にある火山群で、最高峰は大岳(1584m)です。それ以外にも1300〜1500m級の、多数の小型火山からなる火山群を形成しています。
冬場は巨大な樹氷(いわるゆ「モンスター」)でも有名で、春スキーのメッカとなるほど積雪の多い山々です。
また、一般的には、小説、映画の「八甲田山 死の彷徨」(明治時代の実話を元にしている)で知られる、登山史上最大級の遭難者(約200名)を出した「魔の山」、というイメージが強いかもしれません。また、山域内にある酸ヶ湯(すかゆ)温泉も有名な温泉です。なお「日本百名山」の一つでもあります。
以下(文献1)、(文献2)、(文献3―b)に基づき、「八甲田」火山群の概要と、その形成史について説明します。但し、(文献2)が最も詳しいので、(文献2)をベースに説明します。
八甲田山とは、一つの山ではなく火山群ですが、大きくは「北八甲田」火山群と、「南八甲田」火山群の2つに分けられます。
「北八甲田」火山群の場所では、約100万年前からカルデラ式火山活動が始まり、約76万年前、約40万年前と、合計3回の大規模なカルデラ式噴火を起こしました。これは現在では「北八甲田」火山群の活動によって大部分が埋もれていますが、「八甲田カルデラ」と呼ばれています。このカルデラの直径は約9kmで、後述の十和田湖(約11km)に近いサイズを持っていました。
また、第2,第3回目の活動は、大規模な火砕流を伴う活動で、合計で約50km^3もの膨大な噴出物を放出し、またそれに伴う広域テフラも広がりました。
2回目の火山活動による広域テフラははるか、千葉県や大阪府でも確認されています(文献1)、(文献2)。
「北八甲田」火山群は、この「八甲田カルデラ」の縁で始まった火山活動で形成されました。第3回目の大規模カルデラ式噴火が約40万年前に起きたあとから火山活動が始まり、その後、約10万年前までかなり活発な火山活動が起こっていたと推定されています。
その火山活動により「八甲田カルデラ」は火山性噴出物で充填され、現在では、そのほとんどが噴出物の下に埋もれてしましました。なお約10万年以降も、火山活動は継続しています。
「北八甲田」のうち、主峰 大岳付近には、新鮮な溶岩流の跡が認められており、過去6000年の間に、500〜1000年の間隔で、大岳付近から、小規模な噴火を繰り返している、と推定されています。
「八甲田山」は、山群全体が、気象庁の「活火山」にも認定されています(文献3―a)、(文献4)。が、実質的には、「北八甲田」が活火山群といえます。
次に「南八甲田」火山群について、説明します。
「南八甲田」火山群は、「北八甲田」よりも古い歴史をもつ火山群です。浸食や山体崩壊などにより、火山群としての元々の地形は、やや失われています。「南八甲田」の最高峰は、櫛が岳(くしがたけ;1516m)で、他にも登山対象となっている山がいくつかあります。
「南八甲田」火山群の形成史ですが、火山活動は、約110万年前から始まり、上記の「八甲田カルデラ」の活動と並行して活動が起きました。約30万年前まで断続的に活動をしていたと推定されています。その後は、ほぼ火山活動は終息した、と推定されています。
なお火山活動の様式としては、溶岩流を流下するタイプの活動が主です。
火山岩の種類としては、「北八甲田」火山群では、「玄武岩質」、「安山岩質」、「デイサイト質」と、性質の異なる各種の火山岩が噴出しています。
「南八甲田」火山群では、主に「玄武岩質」、「安山岩質玄武岩」の火山岩であり、それらは流動性が比較的高めのため、溶岩流を形成しました。
「八甲田カルデラ」の活動では、「デイサイト」〜「流紋岩質」の噴出物であり、大規模火砕流噴出物(一部は溶結している)として、周辺部に広がっています。
冬場は巨大な樹氷(いわるゆ「モンスター」)でも有名で、春スキーのメッカとなるほど積雪の多い山々です。
また、一般的には、小説、映画の「八甲田山 死の彷徨」(明治時代の実話を元にしている)で知られる、登山史上最大級の遭難者(約200名)を出した「魔の山」、というイメージが強いかもしれません。また、山域内にある酸ヶ湯(すかゆ)温泉も有名な温泉です。なお「日本百名山」の一つでもあります。
以下(文献1)、(文献2)、(文献3―b)に基づき、「八甲田」火山群の概要と、その形成史について説明します。但し、(文献2)が最も詳しいので、(文献2)をベースに説明します。
八甲田山とは、一つの山ではなく火山群ですが、大きくは「北八甲田」火山群と、「南八甲田」火山群の2つに分けられます。
「北八甲田」火山群の場所では、約100万年前からカルデラ式火山活動が始まり、約76万年前、約40万年前と、合計3回の大規模なカルデラ式噴火を起こしました。これは現在では「北八甲田」火山群の活動によって大部分が埋もれていますが、「八甲田カルデラ」と呼ばれています。このカルデラの直径は約9kmで、後述の十和田湖(約11km)に近いサイズを持っていました。
また、第2,第3回目の活動は、大規模な火砕流を伴う活動で、合計で約50km^3もの膨大な噴出物を放出し、またそれに伴う広域テフラも広がりました。
2回目の火山活動による広域テフラははるか、千葉県や大阪府でも確認されています(文献1)、(文献2)。
「北八甲田」火山群は、この「八甲田カルデラ」の縁で始まった火山活動で形成されました。第3回目の大規模カルデラ式噴火が約40万年前に起きたあとから火山活動が始まり、その後、約10万年前までかなり活発な火山活動が起こっていたと推定されています。
その火山活動により「八甲田カルデラ」は火山性噴出物で充填され、現在では、そのほとんどが噴出物の下に埋もれてしましました。なお約10万年以降も、火山活動は継続しています。
「北八甲田」のうち、主峰 大岳付近には、新鮮な溶岩流の跡が認められており、過去6000年の間に、500〜1000年の間隔で、大岳付近から、小規模な噴火を繰り返している、と推定されています。
「八甲田山」は、山群全体が、気象庁の「活火山」にも認定されています(文献3―a)、(文献4)。が、実質的には、「北八甲田」が活火山群といえます。
次に「南八甲田」火山群について、説明します。
「南八甲田」火山群は、「北八甲田」よりも古い歴史をもつ火山群です。浸食や山体崩壊などにより、火山群としての元々の地形は、やや失われています。「南八甲田」の最高峰は、櫛が岳(くしがたけ;1516m)で、他にも登山対象となっている山がいくつかあります。
「南八甲田」火山群の形成史ですが、火山活動は、約110万年前から始まり、上記の「八甲田カルデラ」の活動と並行して活動が起きました。約30万年前まで断続的に活動をしていたと推定されています。その後は、ほぼ火山活動は終息した、と推定されています。
なお火山活動の様式としては、溶岩流を流下するタイプの活動が主です。
火山岩の種類としては、「北八甲田」火山群では、「玄武岩質」、「安山岩質」、「デイサイト質」と、性質の異なる各種の火山岩が噴出しています。
「南八甲田」火山群では、主に「玄武岩質」、「安山岩質玄武岩」の火山岩であり、それらは流動性が比較的高めのため、溶岩流を形成しました。
「八甲田カルデラ」の活動では、「デイサイト」〜「流紋岩質」の噴出物であり、大規模火砕流噴出物(一部は溶結している)として、周辺部に広がっています。
(1−b) 「十和田カルデラ火山」
観光地としても有名な「十和田湖」は、八甲田火山群の南に隣接した、火山性のカルデラ湖です。登山対象の山というより観光地という感じですが、上記の八甲田火山群を含めて大きな火山群を形成しているので、ここで説明します。
なお以下、「十和田カルデラ火山」と呼ぶことにします。
また(文献1)によると、この周辺には、更に3つのカルデラ(火山)の跡が確認されています。
以下、(文献1)、(文献2)(文献3−b)に基づき、「十和田カルデラ火山」の形成史を説明します。但し、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)では形成史の記載内容にかなり差異があります。そこでここでは(文献2)をメインにして説明し、(文献1)、(文献3―b)の内容も多少、補足として説明します。
(文献2)によると、「十和田カルデラ火山」は、約20万年前から火山活動を開始した火山です。カルデラを形成するような大規模な噴火活動は、約5.5〜1.5万年前に起き、少なくとも7回の、大規模火砕流を噴出する活動が起きました
((文献2)ではこの時代を、「カルデラ形成期」と呼んでいる)。
※ なお(文献1)では、カルデラ式の大噴火は、「約3.2万年前、と約1.5万年前、の、少なくとも2回」と説明されており、また(文献3―b)では、「約5.5万年前、約3.6万年前、約1.5万年前の、少なくとも3回」、と説明されている。
(文献2)によると、現在の、直径 約11kmをもつ、大きなカルデラが形成されたのは、約1.5万年前と推定しています。
※ (文献1)では、「現在のカルデラ湖の形成は、約3.2万年前」、と説明している。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、十和田湖の周辺、半径約10〜30kmの範囲は、「デイサイト・流紋岩 大規模火砕流」を示すピンク色が広がっていますが、これが、十和田湖がカルデラ式大噴火を起こした際に噴出した火砕流堆積物でしょう。
ところで十和田湖のうち、南の部分には、「中湖」(なかのうみ)と呼ばれる、2つの細長い半島に囲まれた湾状の地形がありますが、これも小型のカルデラです。つまり「十和田カルデラ火山」は、二重式のカルデラ火山といえます。
「中湖」の部分は十和田湖の中では、最も水深い場所となっており、最深部の水深は、325mもあります。
カルデラの形成以降も、「中湖」からの爆発的な噴火が繰り返されており、最近の火山活動としては、西暦915年に、「中湖」から、噴火が起きています((文献3)によると、古文書に記載がある)。
そのため、(文献―a)によると、気象庁では「十和田」という名前で、活火山として認定しています。
ところで十和田湖から流れ出る奥入瀬(おいらせ)川(奥入瀬渓流)は、美しい渓流であり観光地、紅葉の名所として有名ですが、カルデラ式噴火によって噴出した、溶結した火砕流噴出物を削るように流れており、小ぶりながら見事な渓谷を作っています。
なお以下、「十和田カルデラ火山」と呼ぶことにします。
また(文献1)によると、この周辺には、更に3つのカルデラ(火山)の跡が確認されています。
以下、(文献1)、(文献2)(文献3−b)に基づき、「十和田カルデラ火山」の形成史を説明します。但し、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)では形成史の記載内容にかなり差異があります。そこでここでは(文献2)をメインにして説明し、(文献1)、(文献3―b)の内容も多少、補足として説明します。
(文献2)によると、「十和田カルデラ火山」は、約20万年前から火山活動を開始した火山です。カルデラを形成するような大規模な噴火活動は、約5.5〜1.5万年前に起き、少なくとも7回の、大規模火砕流を噴出する活動が起きました
((文献2)ではこの時代を、「カルデラ形成期」と呼んでいる)。
※ なお(文献1)では、カルデラ式の大噴火は、「約3.2万年前、と約1.5万年前、の、少なくとも2回」と説明されており、また(文献3―b)では、「約5.5万年前、約3.6万年前、約1.5万年前の、少なくとも3回」、と説明されている。
(文献2)によると、現在の、直径 約11kmをもつ、大きなカルデラが形成されたのは、約1.5万年前と推定しています。
※ (文献1)では、「現在のカルデラ湖の形成は、約3.2万年前」、と説明している。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、十和田湖の周辺、半径約10〜30kmの範囲は、「デイサイト・流紋岩 大規模火砕流」を示すピンク色が広がっていますが、これが、十和田湖がカルデラ式大噴火を起こした際に噴出した火砕流堆積物でしょう。
ところで十和田湖のうち、南の部分には、「中湖」(なかのうみ)と呼ばれる、2つの細長い半島に囲まれた湾状の地形がありますが、これも小型のカルデラです。つまり「十和田カルデラ火山」は、二重式のカルデラ火山といえます。
「中湖」の部分は十和田湖の中では、最も水深い場所となっており、最深部の水深は、325mもあります。
カルデラの形成以降も、「中湖」からの爆発的な噴火が繰り返されており、最近の火山活動としては、西暦915年に、「中湖」から、噴火が起きています((文献3)によると、古文書に記載がある)。
そのため、(文献―a)によると、気象庁では「十和田」という名前で、活火山として認定しています。
ところで十和田湖から流れ出る奥入瀬(おいらせ)川(奥入瀬渓流)は、美しい渓流であり観光地、紅葉の名所として有名ですが、カルデラ式噴火によって噴出した、溶結した火砕流噴出物を削るように流れており、小ぶりながら見事な渓谷を作っています。
2) 八幡平
「八幡平」(はちまんたい;1613m)は、岩手県北部、秋田県との県境にまたがった場所にある火山性の山です。実際には高原状の地形が広がっており、どこが山頂(最も標高の高いところ)かわからないような感じで、「山」というより、その名前の通り、「平ら」です。かつ頂上台地部付近まで道路(八幡平アスピーテライン)が通じているので、登山対象というよりも、観光、ハイキングの場所、という感じもあります。長野県の「美ヶ原」(高原)や「霧ヶ峰」(高原)に雰囲気が似ています。なお、日本百名山の一つです。
また、この山は、“火の気” をあまり感じませんが、気象庁によって活火山に認定されています(文献3−a)。
(文献1)によると、この「八幡平」や、「岩手山」を含む一帯は、第四紀火山岩で覆われた地域であり、「仙岩(せんがん)広域火山地域」と呼ばれています。
((文献2)では「仙岩地熱地帯」と呼んでいます)。
産総研「シームレス地質図v2」でこの地域の地質を確認すると、それぞれの火山本体は溶岩、火砕岩からなっており、その山麓部や盆地状の部分も、火山岩由来の岩屑物や、古い時代の大規模火砕流堆積物からなっていて、非火山性の地質体は、まったくと言っていいほど、地表には現れていません。
この地域には、「秋田駒ケ岳」なども含む、かなり広域的な火山地帯を形成しています。またこの地域には埋没した大型のカルデラも、少なくとも3か所、確認されています。
(文献1)では、個々の火山毎というより、この広域的な火山地帯を俯瞰して、火山活動史をまとめています。
ということで、「八幡平」は、「仙岩広域火山地帯」という火山地帯に含まれる火山の一つということを、まずは頭に留めておく必要があります。
さて「八幡平」の。火山としての形成史について、(文献1)、(文献2)、(文献3−b)に基づいて説明します。
(文献1)の「図4.3.2」によると、「八幡平」での火山活動は、少なくとも、約100万年前から始まっています。その後、火口があちこちに形成され、それらの火口群から、主に安山岩質(一部は玄武岩質)の溶岩が大量に流出して、現在のような分厚い溶岩台地状の地形を形成したものと考えられています。大量の溶岩を流出するような大きな火山活動は、約15万年前までで、その後、火山活動は、水蒸気爆発など、小規模なものとなっています。
なお、溶岩を流出した個々の火山は、小型の成層火山とされています。例えば、麓から「八幡平アスピーテライン」を進むと、途中で目立つピークとなっている「茶臼岳」も、小型の成層火山とされています(文献1)、(文献2)。
(文献3−b)によると、過去1万年前からの火山活動としては、約1万年前と、約7300年前の2回、小規模な水蒸気爆発型の噴火が生じています。
ごく最近(1970〜1990年代)では、群発地震が発生しており、地下にはまだマグマが存在することを暗示しています。
また、この山は、“火の気” をあまり感じませんが、気象庁によって活火山に認定されています(文献3−a)。
(文献1)によると、この「八幡平」や、「岩手山」を含む一帯は、第四紀火山岩で覆われた地域であり、「仙岩(せんがん)広域火山地域」と呼ばれています。
((文献2)では「仙岩地熱地帯」と呼んでいます)。
産総研「シームレス地質図v2」でこの地域の地質を確認すると、それぞれの火山本体は溶岩、火砕岩からなっており、その山麓部や盆地状の部分も、火山岩由来の岩屑物や、古い時代の大規模火砕流堆積物からなっていて、非火山性の地質体は、まったくと言っていいほど、地表には現れていません。
この地域には、「秋田駒ケ岳」なども含む、かなり広域的な火山地帯を形成しています。またこの地域には埋没した大型のカルデラも、少なくとも3か所、確認されています。
(文献1)では、個々の火山毎というより、この広域的な火山地帯を俯瞰して、火山活動史をまとめています。
ということで、「八幡平」は、「仙岩広域火山地帯」という火山地帯に含まれる火山の一つということを、まずは頭に留めておく必要があります。
さて「八幡平」の。火山としての形成史について、(文献1)、(文献2)、(文献3−b)に基づいて説明します。
(文献1)の「図4.3.2」によると、「八幡平」での火山活動は、少なくとも、約100万年前から始まっています。その後、火口があちこちに形成され、それらの火口群から、主に安山岩質(一部は玄武岩質)の溶岩が大量に流出して、現在のような分厚い溶岩台地状の地形を形成したものと考えられています。大量の溶岩を流出するような大きな火山活動は、約15万年前までで、その後、火山活動は、水蒸気爆発など、小規模なものとなっています。
なお、溶岩を流出した個々の火山は、小型の成層火山とされています。例えば、麓から「八幡平アスピーテライン」を進むと、途中で目立つピークとなっている「茶臼岳」も、小型の成層火山とされています(文献1)、(文献2)。
(文献3−b)によると、過去1万年前からの火山活動としては、約1万年前と、約7300年前の2回、小規模な水蒸気爆発型の噴火が生じています。
ごく最近(1970〜1990年代)では、群発地震が発生しており、地下にはまだマグマが存在することを暗示しています。
「補足説明」 ;「アスピーテ」という火山用語について
「八幡平」のような、傾斜がゆるくのっぺりした見た目の火山を、以前は、「アスピーテ」(Aspite)(型火山)と呼ぶことがありました。「八幡平」のドライブウエーの名称が「八幡平アスピーテライン」となっているのも、そのためかと思われます。
但し最近の火山学では、「アスピーテ」という用語は、ほとんど使われないようです。最近の火山学では、火山の形状よりむしろ、噴火様式や、火山岩の種類などを重視するようになったためだと思われます。実際、火山学の教科書である(文献4)にも「アスピーテ」という用語はでてきません。
なお、類似した火山学の用語としては、「盾状火山」(たてじょうかざん)(shield volcano)があります。(文献4)にも記載、説明されており、ウイキペディアの日本語版、英語版にも、項目があります。ハワイのマウナロア火山、キラウエア火山などは、「盾状火山」の代表のような位置づけです。
「盾状火山」という用語は、玄武岩質の流動性の高い溶岩の噴出によって形成された、という、形成メカニズムを内包した用語です。
では、「八幡平」が「盾状火山」か、というと、(文献1)、(文献2)、(文献3−b)にも、一言もそう記載されていないので、「盾状火山」とも言えないと思われます。
但し最近の火山学では、「アスピーテ」という用語は、ほとんど使われないようです。最近の火山学では、火山の形状よりむしろ、噴火様式や、火山岩の種類などを重視するようになったためだと思われます。実際、火山学の教科書である(文献4)にも「アスピーテ」という用語はでてきません。
なお、類似した火山学の用語としては、「盾状火山」(たてじょうかざん)(shield volcano)があります。(文献4)にも記載、説明されており、ウイキペディアの日本語版、英語版にも、項目があります。ハワイのマウナロア火山、キラウエア火山などは、「盾状火山」の代表のような位置づけです。
「盾状火山」という用語は、玄武岩質の流動性の高い溶岩の噴出によって形成された、という、形成メカニズムを内包した用語です。
では、「八幡平」が「盾状火山」か、というと、(文献1)、(文献2)、(文献3−b)にも、一言もそう記載されていないので、「盾状火山」とも言えないと思われます。
3)岩手山
「岩手山」(標高2083m)は、その名のとおり、まさに岩手県を代表する名峰です。日本百名山の一つに選ばれていることに異論のある方は少ないでしょう。
「岩手山」は、県都 盛岡市付近からも、まじかにその堂々とした姿を見せており、盛岡側からは、富士山をやや小型にしたかのような端正な成層火山としての姿を見せています。
麓から日帰りで登れますが、富士山と似て、ガラガラした火山岩の多い登山道をひたすら登ってゆくと、途中の台地状部分(不動平)の先に、草木も生えていない、岩手山の山頂部があります。山頂部には、これまた富士山に似て、新鮮な形状をした火口があります。
一方、「岩手山」の西側は、カルデラ状地形を含む、複雑な地形となっています。
さて、「岩手山」の、火山としての形成史を、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)に基づいて、以下、説明します。
前の第(2)節でも触れたように、この一帯は、「仙岩広域火山地帯」(文献1)とよばれる、広い火山地帯であり、岩手山は、その中の活火山の一つです。
「岩手山」は、よくめだつ成層火山部分(=(東岩手山)とも呼ばれる)だけでなく、その西側に広がる火山性の山域を含めた山です。(文献1)(文献3−c)では、東側の成層火山部分を「東岩手山」((文献2)では「東岩手火山」)、その西側のカルデラ状の複雑な地形をしている部分を、「西岩手山」(文献2)では「西岩手火山」)と呼んでいます。ここは、「東岩手山」、「西岩手山」という名称で、区分します。また全体を、「岩手山」と呼ぶことにします。
「岩手山」の火山活動は、(文献1)では約70万年前に、(文献2)では、100万年以上前から、始まったと推定されています。それ以降、多数の火山が活動して溶岩などを噴出したり、カルデラを形成したり、山体崩壊を起こしたりしながら、現在の「岩手山」の土台を形成しました。
(文献2)によると、この間、「西岩手山」の領域では、約120万年以降、4回の活発な火山活動のステージがあったと推定されています。これらの火山活動では、成層火山の形成と、山体崩壊やカルデラの形成が繰り返された、と推定されています。現在、「西岩手山」の領域では、地獄谷を中心にした、馬蹄形のカルデラ地形が、はっきりと認められますが、これは、最新の活動(約5〜3万年)で形成されたと推定されています。
現在は新鮮な見た目の成層火山となっている、「東岩手山」の領域も、(文献2)によると、元々は約100万年前から火山活動が断続的に続いていた、と推定されています。各活動ステージでは成層火山の形成と山体崩壊とが繰り返された、と推定されています。
現在の成層火山型の山体は、(文献2)によると、約30〜20万年前の「平笠不動ステージ」で原型が形成され、さらに約10万年前から現在へと継続する「薬師岳ステージ」で、中央火口丘である薬師岳が形成された、と推定されています。(文献1)では、薬師岳の形成は、約6000年前と推定しています。
なお、「東岩手山」部分では、またこのステージは終わったわけではなく、現在でも火山活動は継続しています。
(文献3−c)によると、15世紀以降の最近の火山活動(火山性地震活動も含む)としては、計7回の活動があり、このうち、1686年と1732年にはマグマ噴火が起きています。直近では、1995年〜2004年の間に、火山性地震、噴気活動があり、この時期は「登山規制」がかかっていたと記憶しています。
なお「西岩手山」のうちカルデラ底の地獄谷では、噴気活動も起きています。
「岩手山」は全域で、きわめて活動的な活火山といえます。
繰り返しの説明になってしますが、「岩手山」では、成層火山の形成と、その山体崩壊が繰り返されました。山麓の堆積物の解析によると、少なくとも8回の山体崩壊が起こっています。このうち、比較的最近の山体崩壊は、(文献1)によると、約12万年前、約3万年前、約6000年前です。(文献3−c)では、「岩手山は日本の活火山の中では、山体崩壊の回数は最多である」、と記載されています。
山体崩壊に伴い、山麓部には大量の土砂が流下しました。(文献1)によると、その一部は、いわゆる「流れ山」という、小さな丘陵群を作っています。また(文献2)によると、最新(約6000年前)の山体崩壊(「平笠岩屑なだれ」)では、その岩屑なだれは、盛岡市の郊外にまで達したとのことです。産総研「シームレス地質図v2」でも、その様子が見て取れます。
なお、「岩手山」における火山岩の種類としては、(文献2)では、「安山岩質」、「玄武岩質」と説明されています。産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「西岩手山」領域と、「東岩手山」の西半分は、「安山岩」、「玄武岩質安山岩」で、(おそらく最新の火山活動のものと思われる)「東岩手山」の東側部分は、「玄武岩」の溶岩、火砕岩が分布しています。
「岩手山」(「東岩手山」)は、前述のとおり歴史時代から近年にかけても、活発な火山活動を起こしており、近年ではしばしば、「登山規制」がかかることがあります。普段は日帰りで登れ、特に危険な箇所もありませんが、「登山規制」という障害があるために、以外と登りにくい山、だとも言えましょう。
「岩手山」は、県都 盛岡市付近からも、まじかにその堂々とした姿を見せており、盛岡側からは、富士山をやや小型にしたかのような端正な成層火山としての姿を見せています。
麓から日帰りで登れますが、富士山と似て、ガラガラした火山岩の多い登山道をひたすら登ってゆくと、途中の台地状部分(不動平)の先に、草木も生えていない、岩手山の山頂部があります。山頂部には、これまた富士山に似て、新鮮な形状をした火口があります。
一方、「岩手山」の西側は、カルデラ状地形を含む、複雑な地形となっています。
さて、「岩手山」の、火山としての形成史を、(文献1)、(文献2)、(文献3―b)に基づいて、以下、説明します。
前の第(2)節でも触れたように、この一帯は、「仙岩広域火山地帯」(文献1)とよばれる、広い火山地帯であり、岩手山は、その中の活火山の一つです。
「岩手山」は、よくめだつ成層火山部分(=(東岩手山)とも呼ばれる)だけでなく、その西側に広がる火山性の山域を含めた山です。(文献1)(文献3−c)では、東側の成層火山部分を「東岩手山」((文献2)では「東岩手火山」)、その西側のカルデラ状の複雑な地形をしている部分を、「西岩手山」(文献2)では「西岩手火山」)と呼んでいます。ここは、「東岩手山」、「西岩手山」という名称で、区分します。また全体を、「岩手山」と呼ぶことにします。
「岩手山」の火山活動は、(文献1)では約70万年前に、(文献2)では、100万年以上前から、始まったと推定されています。それ以降、多数の火山が活動して溶岩などを噴出したり、カルデラを形成したり、山体崩壊を起こしたりしながら、現在の「岩手山」の土台を形成しました。
(文献2)によると、この間、「西岩手山」の領域では、約120万年以降、4回の活発な火山活動のステージがあったと推定されています。これらの火山活動では、成層火山の形成と、山体崩壊やカルデラの形成が繰り返された、と推定されています。現在、「西岩手山」の領域では、地獄谷を中心にした、馬蹄形のカルデラ地形が、はっきりと認められますが、これは、最新の活動(約5〜3万年)で形成されたと推定されています。
現在は新鮮な見た目の成層火山となっている、「東岩手山」の領域も、(文献2)によると、元々は約100万年前から火山活動が断続的に続いていた、と推定されています。各活動ステージでは成層火山の形成と山体崩壊とが繰り返された、と推定されています。
現在の成層火山型の山体は、(文献2)によると、約30〜20万年前の「平笠不動ステージ」で原型が形成され、さらに約10万年前から現在へと継続する「薬師岳ステージ」で、中央火口丘である薬師岳が形成された、と推定されています。(文献1)では、薬師岳の形成は、約6000年前と推定しています。
なお、「東岩手山」部分では、またこのステージは終わったわけではなく、現在でも火山活動は継続しています。
(文献3−c)によると、15世紀以降の最近の火山活動(火山性地震活動も含む)としては、計7回の活動があり、このうち、1686年と1732年にはマグマ噴火が起きています。直近では、1995年〜2004年の間に、火山性地震、噴気活動があり、この時期は「登山規制」がかかっていたと記憶しています。
なお「西岩手山」のうちカルデラ底の地獄谷では、噴気活動も起きています。
「岩手山」は全域で、きわめて活動的な活火山といえます。
繰り返しの説明になってしますが、「岩手山」では、成層火山の形成と、その山体崩壊が繰り返されました。山麓の堆積物の解析によると、少なくとも8回の山体崩壊が起こっています。このうち、比較的最近の山体崩壊は、(文献1)によると、約12万年前、約3万年前、約6000年前です。(文献3−c)では、「岩手山は日本の活火山の中では、山体崩壊の回数は最多である」、と記載されています。
山体崩壊に伴い、山麓部には大量の土砂が流下しました。(文献1)によると、その一部は、いわゆる「流れ山」という、小さな丘陵群を作っています。また(文献2)によると、最新(約6000年前)の山体崩壊(「平笠岩屑なだれ」)では、その岩屑なだれは、盛岡市の郊外にまで達したとのことです。産総研「シームレス地質図v2」でも、その様子が見て取れます。
なお、「岩手山」における火山岩の種類としては、(文献2)では、「安山岩質」、「玄武岩質」と説明されています。産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「西岩手山」領域と、「東岩手山」の西半分は、「安山岩」、「玄武岩質安山岩」で、(おそらく最新の火山活動のものと思われる)「東岩手山」の東側部分は、「玄武岩」の溶岩、火砕岩が分布しています。
「岩手山」(「東岩手山」)は、前述のとおり歴史時代から近年にかけても、活発な火山活動を起こしており、近年ではしばしば、「登山規制」がかかることがあります。普段は日帰りで登れ、特に危険な箇所もありませんが、「登山規制」という障害があるために、以外と登りにくい山、だとも言えましょう。
4) 秋田駒ケ岳と、その周辺
「秋田駒ケ岳」(1637m)は、秋田県の南東部にある火山で、気象庁では「活火山」に認定しています。岩手県との県境にも近く、東側の山麓部は岩手県なので、県境部にある山だと言えます。
また、八合目付近まで自動車道が通じており、比較的登りやすい山です。
「秋田駒ケ岳」は独立峰ではなく、北へと尾根を伸ばし、「乳頭山」(にゅうとうさん;1478m)まで、数kmの緩やかな稜線が続いています。また「乳頭山」の西側の中腹には、観光地としても良く知られている、乳頭温泉郷があります。更に、「秋田駒ケ岳」の西、約10kmには、カルデラ湖と推定されている、田沢湖があります。
ということで、これら一帯が、登山、ハイキング、観光の対象となっています。またこれら一帯は、火山によって形成された一帯という点でも、共通しています。
そこでこの項では、「秋田駒ケ岳」だけでなく、地形、地質的に共通している、乳頭山付近あたりまでの山々、および田沢湖について、その形成史を説明します。
なお「乳頭山」は、「烏帽子岳」とも呼ばれるようですが、ここでは「乳頭山」という言葉で統一します。
ところで、「秋田駒ケ岳」を含む一帯は、第2項(八幡平)、第3項(岩手山)と共に、「仙岩広域火山地帯」(文献1)に含まれますが、その火山としての形成史は、多少、異なります。
以下、主に(文献1)、(文献2)、(文献3−b)を元に、「秋田駒ケ岳」とその周辺の形成史を説明します。
また、八合目付近まで自動車道が通じており、比較的登りやすい山です。
「秋田駒ケ岳」は独立峰ではなく、北へと尾根を伸ばし、「乳頭山」(にゅうとうさん;1478m)まで、数kmの緩やかな稜線が続いています。また「乳頭山」の西側の中腹には、観光地としても良く知られている、乳頭温泉郷があります。更に、「秋田駒ケ岳」の西、約10kmには、カルデラ湖と推定されている、田沢湖があります。
ということで、これら一帯が、登山、ハイキング、観光の対象となっています。またこれら一帯は、火山によって形成された一帯という点でも、共通しています。
そこでこの項では、「秋田駒ケ岳」だけでなく、地形、地質的に共通している、乳頭山付近あたりまでの山々、および田沢湖について、その形成史を説明します。
なお「乳頭山」は、「烏帽子岳」とも呼ばれるようですが、ここでは「乳頭山」という言葉で統一します。
ところで、「秋田駒ケ岳」を含む一帯は、第2項(八幡平)、第3項(岩手山)と共に、「仙岩広域火山地帯」(文献1)に含まれますが、その火山としての形成史は、多少、異なります。
以下、主に(文献1)、(文献2)、(文献3−b)を元に、「秋田駒ケ岳」とその周辺の形成史を説明します。
4−1) 「秋田駒ケ岳」
「秋田駒ケ岳」の山頂部には、「男女(おなめ)岳」(最高峰)、「男岳」、「女岳」、「横岳」などと名前が付いた、4〜5個の、小型のピークが立ち並ぶ、特徴ある地形をしています。
これらは一見、溶岩ドームのようにも見えますが、(文献1)、(文献2)によるとこれらは、山頂部に小規模なカルデラが複数、形成され、その結果としてできた地形とのことです。
また(文献1)や、産総研「シームレス地質図v2」によると、「秋田駒ケ岳」付近では、基盤岩(「新第三紀 中新世」の火山岩類)が、標高 約1000m付近まで高まっており、火山体そのものの比高は、約600mと、小規模な山体です。
(文献2)によると、「秋田駒ケ岳」は、約10万年前から火山活動が開始した比較的新しい火山です。最初は小型の成層火山が形成されました。約1.3万年前には山頂部付近でカルデラ地形が形成されました。その後は、そのカルデラ付近で溶岩流を流下する活動や、火砕丘の形成があり、現在の複雑な山頂部の地形が形成された、と推定されています。
なお(文献1)によると、頂上部の地形形成史はより複雑であり、約2.1万年前に、山頂部の北部が山体崩壊を起こして、馬蹄形のカルデラ状地形が形成され、その後の火山活用により、そのカルデラ状地形はほぼ埋め立てられている、とされています。
その後、約1.3万年前に、山頂部の南側に、火山活動によるカルデラ((文献1)では「南部カルデラ」)、そして約1.1万年前には山頂部の北側にも、火山活動によるカルデラ((文献1)では「北部カルデラ」)が形成された、という複雑な形成史が述べられています。
これらは一見、溶岩ドームのようにも見えますが、(文献1)、(文献2)によるとこれらは、山頂部に小規模なカルデラが複数、形成され、その結果としてできた地形とのことです。
また(文献1)や、産総研「シームレス地質図v2」によると、「秋田駒ケ岳」付近では、基盤岩(「新第三紀 中新世」の火山岩類)が、標高 約1000m付近まで高まっており、火山体そのものの比高は、約600mと、小規模な山体です。
(文献2)によると、「秋田駒ケ岳」は、約10万年前から火山活動が開始した比較的新しい火山です。最初は小型の成層火山が形成されました。約1.3万年前には山頂部付近でカルデラ地形が形成されました。その後は、そのカルデラ付近で溶岩流を流下する活動や、火砕丘の形成があり、現在の複雑な山頂部の地形が形成された、と推定されています。
なお(文献1)によると、頂上部の地形形成史はより複雑であり、約2.1万年前に、山頂部の北部が山体崩壊を起こして、馬蹄形のカルデラ状地形が形成され、その後の火山活用により、そのカルデラ状地形はほぼ埋め立てられている、とされています。
その後、約1.3万年前に、山頂部の南側に、火山活動によるカルデラ((文献1)では「南部カルデラ」)、そして約1.1万年前には山頂部の北側にも、火山活動によるカルデラ((文献1)では「北部カルデラ」)が形成された、という複雑な形成史が述べられています。
4−2) 秋田駒ヶ岳から乳頭山までの稜線上の山々
(文献1)によると、「秋田駒ケ岳」と「乳頭山」との間の稜線上にある山のうち、すぐ北側の「笹森山」(ささもりやま)、「湯森山」(ゆもりやま)、その北の「笊森山」(ざるもりやま」は、溶岩からなる火山性の山です。この3つの山はいずれも、丸っこい山頂部をしており、溶岩流によってなだらかに覆われている感じです。複雑な地形となっている「秋田駒ケ岳」の山頂部とはだいぶ印象が異なります。
(文献7)によると、「笊森山」の山頂部は溶岩円頂丘(溶岩ドーム)であり、その地下には成層火山の火山体が隠れている、と説明されています。山体の表層部を形成している溶岩の年代は、約10万年前〜約30万年前の範囲を示しています。
「笹森山」、「湯森山」については、各文献には具体的な火山の形成史の説明がなく、詳しいことは解りませんが、山容などから、「笊森山」と似た形成史を持っているのでは、とも思われます(この段落は私見を含みます)
なお、これらの山々について、産総研「シームレス地質図v2」によると、火山岩の年代は、第四紀の「チバニアン期」(約13〜78万年前)と記載されており、見た目とは異なり、「秋田駒ケ岳」よりも古い火山活動のようです。
また「乳頭山」については、(文献1)にも、(文献2)にも記載がありませんが、(文献7)によると、「乳頭山」は、火山の形態としては、溶岩円頂丘(溶岩ドーム)であり、約60〜40万年前の噴出年代を示す、と説明されています。また産総研「シームレス地質図v2」によると、「笊森山」と同じく、第四紀の「チバニアン期」(約13〜78万年前)の溶岩、火砕岩、と記載されています。
(文献1)によると、「秋田駒ケ岳」から「乳頭山」までの、「北北東―南南西」走向に延びる火山列は、その方向を主軸とした伸張場にそって形成されたのであろう、と推測しています。また「秋田駒ケ岳」の火口群の並びや、岩脈の貫入状況も、その走向と調和的である、と記載されています。
(文献7)によると、「笊森山」の山頂部は溶岩円頂丘(溶岩ドーム)であり、その地下には成層火山の火山体が隠れている、と説明されています。山体の表層部を形成している溶岩の年代は、約10万年前〜約30万年前の範囲を示しています。
「笹森山」、「湯森山」については、各文献には具体的な火山の形成史の説明がなく、詳しいことは解りませんが、山容などから、「笊森山」と似た形成史を持っているのでは、とも思われます(この段落は私見を含みます)
なお、これらの山々について、産総研「シームレス地質図v2」によると、火山岩の年代は、第四紀の「チバニアン期」(約13〜78万年前)と記載されており、見た目とは異なり、「秋田駒ケ岳」よりも古い火山活動のようです。
また「乳頭山」については、(文献1)にも、(文献2)にも記載がありませんが、(文献7)によると、「乳頭山」は、火山の形態としては、溶岩円頂丘(溶岩ドーム)であり、約60〜40万年前の噴出年代を示す、と説明されています。また産総研「シームレス地質図v2」によると、「笊森山」と同じく、第四紀の「チバニアン期」(約13〜78万年前)の溶岩、火砕岩、と記載されています。
(文献1)によると、「秋田駒ケ岳」から「乳頭山」までの、「北北東―南南西」走向に延びる火山列は、その方向を主軸とした伸張場にそって形成されたのであろう、と推測しています。また「秋田駒ケ岳」の火口群の並びや、岩脈の貫入状況も、その走向と調和的である、と記載されています。
4−3) 田沢湖
「田沢湖」は、前述の「秋田駒ケ岳」のすぐ西側にある、直径 約8kmの、円形の湖です。登山、ハイキングの対象というより観光地のイメージが強い場所ですが、「秋田駒ケ岳」と近いことと、ぱっと見は「カルデラ湖」のようですが、実は良く解っていない点があり、地形学的には興味深い場所なので、ここで簡単に説明します。
「田沢湖」は、日本の湖のなかでは、最も深い水深(約423m)をもつことで知られています。また直径 数kmの円形の形状は、前の節で説明した「十和田湖」(十和田カルデラ火山)に類似しています。
「田沢湖」は、(文献1)によると、『「田沢湖」は、新第三紀の火山岩分布域に位置しており、おそらくは「カルデラ湖」と考えられるが、周辺部には第四紀の火山噴出物がほとんど分布しておらず、成因、形成年代とも、謎となっている』、と記載されています。
また、ウイキペディア日本語版(文献5)によると、『「田沢湖」の成因として、隕石によるクレータ説もあるが、最近は、約140〜180万年に活動した火山由来の「カルデラ湖」という説が有力である。しかし田沢湖の容積分の噴出物がどこに行ったのかが未解決の問題として残されており、田沢湖をカルデラと呼ぶかどうかは、専門家の間でも意見が分かれている』と、記載されています。
学術論文としては、2020年リリースの論文(文献6)があります。
この論文は、「田沢湖」付近の、第四紀の火山性堆積物、火山岩について詳しく調べた内容です。この論文の結論をまとめると、以下のようになります。
・「田沢湖」は、約2.0〜1.7Maに火山噴火を起こして形成されたカルデラ湖である。
・「田沢湖」の周辺には、散在的ではあるが、この火山活動による火砕流堆積物が確認される。
・噴出物が現在ではわずかしか認められないのは、長期間の浸食によって失われたと考えられる。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
「田沢湖」は、日本の湖のなかでは、最も深い水深(約423m)をもつことで知られています。また直径 数kmの円形の形状は、前の節で説明した「十和田湖」(十和田カルデラ火山)に類似しています。
「田沢湖」は、(文献1)によると、『「田沢湖」は、新第三紀の火山岩分布域に位置しており、おそらくは「カルデラ湖」と考えられるが、周辺部には第四紀の火山噴出物がほとんど分布しておらず、成因、形成年代とも、謎となっている』、と記載されています。
また、ウイキペディア日本語版(文献5)によると、『「田沢湖」の成因として、隕石によるクレータ説もあるが、最近は、約140〜180万年に活動した火山由来の「カルデラ湖」という説が有力である。しかし田沢湖の容積分の噴出物がどこに行ったのかが未解決の問題として残されており、田沢湖をカルデラと呼ぶかどうかは、専門家の間でも意見が分かれている』と、記載されています。
学術論文としては、2020年リリースの論文(文献6)があります。
この論文は、「田沢湖」付近の、第四紀の火山性堆積物、火山岩について詳しく調べた内容です。この論文の結論をまとめると、以下のようになります。
・「田沢湖」は、約2.0〜1.7Maに火山噴火を起こして形成されたカルデラ湖である。
・「田沢湖」の周辺には、散在的ではあるが、この火山活動による火砕流堆積物が確認される。
・噴出物が現在ではわずかしか認められないのは、長期間の浸食によって失われたと考えられる。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
5) 焼石岳
「焼石岳」(やけいしだけ;1547m)は、岩手県の南西部、秋田県との県境にも近い場所にある、火山性の山です。標高は奥羽山脈の山としては中程度の高さですが、大きくて複雑な山容で、東北の山らしい、深い森に覆われた奥深い山です。日本二百名山のひとつでもあります。
「焼石岳」の、火山としての形成史については、研究が少なく、良く解っていないようです。
(文献1)によると、「焼石岳」は、安山岩質の溶岩によって形成された成層火山です。山頂部の北西側に、火口と推定される馬蹄形の地形があります(山体崩壊の跡 かもしれません/私見)。
また「成層火山」とは言っても、あちこちに地滑り跡と思われる崖状の地形があって、典型的な成層火山の地形ではありません。
なお「焼石岳」は、地形学、地質学的な研究が少ないので、(文献1)の記載も少なく、その形成史ははっきりしていないようです。
なお産総研の、「第四紀火山」のサイト(文献7)によると、「焼石岳」の火山活動は、約100万年前から約20万年前、と記載されています。(根拠は不明です)
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「焼石岳」の中腹より上部は、「第四紀 後期更新世」の安山岩類が分布していますが、標高1000m〜1200mより下部(南東部を除く)は、第四紀の火山岩ではなく、「新第三紀 中新世」の火山岩類が分布しています。これから見ると、地質構造的には、基盤岩類(新第三紀の火山岩類)が隆起してできた場所の上に、小型の火山が乗っかっている、という感じのようです。
ところで、産総研「シームレス地質図v2」をよくよく見ると、「焼石岳」の中腹や山麓部には、「古生代」の地質体が点在しています。
具体的には、「焼石岳」の山頂から見て、南東部の山腹部、および北東部の山腹部、山麓部に、古生代「ペルム紀」の泥岩(非付加体型)が、第四紀の火山岩類に囲まれて、ひっそりと顔をだしています。
更に、「焼石岳」山頂から南に約4〜5kmの地域(「獅子が鼻岳」(1293m)の南麓部)には、古生代「デボン紀」〜「石炭紀」の高圧型変成岩(泥質片岩、苦鉄質片岩)が、これまた孤立した地質体として、顔をだしています。
これらの「シームレス地質図v2」上での記載は、1965年発行の、「五万年の一地質図;焼石岳」(文献8)、及び 1971年発行の「五万分の一地質図;川尻地域の地質」、の調査に基づくようですが、さだかではありません。
「奥羽山脈」とその周辺では、新第三紀 中新世(約23〜6Ma)の火成岩類と、第四紀火山岩類ばかりが分布しており、「古生代」はおろか、「中生代」の地質体すらほとんど見られませんが、ここに「古生代」の地質体があるのは、非常に興味深い感じがします。但し、これらの地質体に関しての研究は、(文献8)、(文献9)以外、見つかりませんでした。
ところで、産総研「シームレス地質図v2」を広域的に眺めると、この「焼石岳」から東方 約30〜40kmの、「北上山地」の南西部には、「デボン紀」から「石炭紀」にかけての、高圧型変成岩(泥質片岩、苦鉄質片岩)が、比較的広範囲(約10×20km範囲)に分布しています。また「北上山地」の中南部には、「ペルム紀」の泥岩(非付加体型)が、これも比較的広く分布しています。
いずれも地帯構造区分的には、「南部北上帯」とよばれる「地帯」に含まれます。
「焼石岳」周辺の、上記の古生代地質体群と、これら「南部北上帯」の古生代地質体群とは、地質的な類似性があるので、何らかの関連があるのかも?、と思われます(この段階は、あくまで私見です)。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
「焼石岳」の、火山としての形成史については、研究が少なく、良く解っていないようです。
(文献1)によると、「焼石岳」は、安山岩質の溶岩によって形成された成層火山です。山頂部の北西側に、火口と推定される馬蹄形の地形があります(山体崩壊の跡 かもしれません/私見)。
また「成層火山」とは言っても、あちこちに地滑り跡と思われる崖状の地形があって、典型的な成層火山の地形ではありません。
なお「焼石岳」は、地形学、地質学的な研究が少ないので、(文献1)の記載も少なく、その形成史ははっきりしていないようです。
なお産総研の、「第四紀火山」のサイト(文献7)によると、「焼石岳」の火山活動は、約100万年前から約20万年前、と記載されています。(根拠は不明です)
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「焼石岳」の中腹より上部は、「第四紀 後期更新世」の安山岩類が分布していますが、標高1000m〜1200mより下部(南東部を除く)は、第四紀の火山岩ではなく、「新第三紀 中新世」の火山岩類が分布しています。これから見ると、地質構造的には、基盤岩類(新第三紀の火山岩類)が隆起してできた場所の上に、小型の火山が乗っかっている、という感じのようです。
ところで、産総研「シームレス地質図v2」をよくよく見ると、「焼石岳」の中腹や山麓部には、「古生代」の地質体が点在しています。
具体的には、「焼石岳」の山頂から見て、南東部の山腹部、および北東部の山腹部、山麓部に、古生代「ペルム紀」の泥岩(非付加体型)が、第四紀の火山岩類に囲まれて、ひっそりと顔をだしています。
更に、「焼石岳」山頂から南に約4〜5kmの地域(「獅子が鼻岳」(1293m)の南麓部)には、古生代「デボン紀」〜「石炭紀」の高圧型変成岩(泥質片岩、苦鉄質片岩)が、これまた孤立した地質体として、顔をだしています。
これらの「シームレス地質図v2」上での記載は、1965年発行の、「五万年の一地質図;焼石岳」(文献8)、及び 1971年発行の「五万分の一地質図;川尻地域の地質」、の調査に基づくようですが、さだかではありません。
「奥羽山脈」とその周辺では、新第三紀 中新世(約23〜6Ma)の火成岩類と、第四紀火山岩類ばかりが分布しており、「古生代」はおろか、「中生代」の地質体すらほとんど見られませんが、ここに「古生代」の地質体があるのは、非常に興味深い感じがします。但し、これらの地質体に関しての研究は、(文献8)、(文献9)以外、見つかりませんでした。
ところで、産総研「シームレス地質図v2」を広域的に眺めると、この「焼石岳」から東方 約30〜40kmの、「北上山地」の南西部には、「デボン紀」から「石炭紀」にかけての、高圧型変成岩(泥質片岩、苦鉄質片岩)が、比較的広範囲(約10×20km範囲)に分布しています。また「北上山地」の中南部には、「ペルム紀」の泥岩(非付加体型)が、これも比較的広く分布しています。
いずれも地帯構造区分的には、「南部北上帯」とよばれる「地帯」に含まれます。
「焼石岳」周辺の、上記の古生代地質体群と、これら「南部北上帯」の古生代地質体群とは、地質的な類似性があるので、何らかの関連があるのかも?、と思われます(この段階は、あくまで私見です)。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
6) 栗駒山
「栗駒山」(くりこまやま;標高 1627m)は、前項の「焼石岳」の南 約20kmに位置する火山性の山で、岩手県、宮城県、秋田県の県境部に位置しています。
東北新幹線には、「くりこま高原駅」という駅もあり、新幹線の車窓からも、その大きな山体がよく見えますし、比較的知名度のある山ではないかと思います。
なおこの山も「二百名山」のひとつで、「花の百名山」にも選ばれています。また、近年でも火山活動があり、気象庁では「活火山」と認定しています。
「栗駒山」の山容は割となだらかで、東側(宮城、岩手側)からはドライブウエーが7合目付近(「いわかがみ平」)まで通じており、かなり登りやすい山です。花の多い山でもあり、また秋には素晴らしい紅葉が楽しめます。
さて、「栗駒山」の形成史を、(文献1)、(文献2)、(文献3−b)を元に説明します。
「栗駒山」はなだらかな山容ですが、各文献によると、タイプとしては「成層火山」とされています。実際には、複数の火口から、溶岩などの火山岩が噴出して形成されています。(文献1)、(文献2)では、活動時期と場所が異なる、6つの火山体に区分しています。
「栗駒山」の火山活動は、約50〜40万年前に遡ります。その後、各所から、主に安山岩質の溶岩、火砕岩を噴出して、現在見られる大きな山体が形成されました。山頂から見て北西側にある「剣岳」(1397m)と呼ばれる火山体(溶岩ドーム)は、数万年前に形成された、比較的新しい火山体です。
その間、いくつかの場所では部分的な山体崩壊、地滑りも起きています。特に山頂の北西側では、正確な時代は不明ですが、大きな山体崩壊が起き、「須川(すかわ)岩屑なだれ」と呼ばれる岩屑流が生じました。産総研「シームレス地質図v2」をみると、その岩屑なだれの跡が、良く解ります。
この山体崩壊の跡は馬蹄形の凹地を形成しています。この地形は、カルデラと呼ばれることがありますが(例えばウイキペディアの「栗駒山」の項)、カルデラ式火山噴火によってできた(火山性の狭義の)「カルデラ地形」ではなく、部分的な山体崩壊の跡です。
2008年には、「栗駒山」付近を震源とする地震(「平成20年 岩手・宮城内陸地震」)の影響で、「栗駒山」の東側斜面で大規模な地滑りが起き、その後しばらくは、車道を利用した登山はできなくなりました(文献10)。
気象庁では、「栗駒山」を活火山と認定しています。(文献3−c)によると、10世紀〜19世紀の間に、少なくとも2回の水蒸気爆発型の噴火が起きたと推定しています。また20世紀でも1944年に水蒸気爆発型の噴火が起きています。その噴火口は山頂の北西側の、山体崩壊型の凹地の中であり、現在、「昭和湖」と呼ばれています。
その後は本格的な噴火は起きていませんが、火山性と思われる地震や、上記の凹地状地形の場所での噴気活動がしばしば、確認されています。
東北新幹線には、「くりこま高原駅」という駅もあり、新幹線の車窓からも、その大きな山体がよく見えますし、比較的知名度のある山ではないかと思います。
なおこの山も「二百名山」のひとつで、「花の百名山」にも選ばれています。また、近年でも火山活動があり、気象庁では「活火山」と認定しています。
「栗駒山」の山容は割となだらかで、東側(宮城、岩手側)からはドライブウエーが7合目付近(「いわかがみ平」)まで通じており、かなり登りやすい山です。花の多い山でもあり、また秋には素晴らしい紅葉が楽しめます。
さて、「栗駒山」の形成史を、(文献1)、(文献2)、(文献3−b)を元に説明します。
「栗駒山」はなだらかな山容ですが、各文献によると、タイプとしては「成層火山」とされています。実際には、複数の火口から、溶岩などの火山岩が噴出して形成されています。(文献1)、(文献2)では、活動時期と場所が異なる、6つの火山体に区分しています。
「栗駒山」の火山活動は、約50〜40万年前に遡ります。その後、各所から、主に安山岩質の溶岩、火砕岩を噴出して、現在見られる大きな山体が形成されました。山頂から見て北西側にある「剣岳」(1397m)と呼ばれる火山体(溶岩ドーム)は、数万年前に形成された、比較的新しい火山体です。
その間、いくつかの場所では部分的な山体崩壊、地滑りも起きています。特に山頂の北西側では、正確な時代は不明ですが、大きな山体崩壊が起き、「須川(すかわ)岩屑なだれ」と呼ばれる岩屑流が生じました。産総研「シームレス地質図v2」をみると、その岩屑なだれの跡が、良く解ります。
この山体崩壊の跡は馬蹄形の凹地を形成しています。この地形は、カルデラと呼ばれることがありますが(例えばウイキペディアの「栗駒山」の項)、カルデラ式火山噴火によってできた(火山性の狭義の)「カルデラ地形」ではなく、部分的な山体崩壊の跡です。
2008年には、「栗駒山」付近を震源とする地震(「平成20年 岩手・宮城内陸地震」)の影響で、「栗駒山」の東側斜面で大規模な地滑りが起き、その後しばらくは、車道を利用した登山はできなくなりました(文献10)。
気象庁では、「栗駒山」を活火山と認定しています。(文献3−c)によると、10世紀〜19世紀の間に、少なくとも2回の水蒸気爆発型の噴火が起きたと推定しています。また20世紀でも1944年に水蒸気爆発型の噴火が起きています。その噴火口は山頂の北西側の、山体崩壊型の凹地の中であり、現在、「昭和湖」と呼ばれています。
その後は本格的な噴火は起きていませんが、火山性と思われる地震や、上記の凹地状地形の場所での噴気活動がしばしば、確認されています。
(参考文献)
文献1) 小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、第4章「奥羽脊梁山脈と火山群」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」 朝倉書店 刊 (2017)
の、第9部「(東北地方の)活動的な火山」のうち、
9―3章「脊梁火山列」の、各火山の項
文献3) 気象庁のインターネットサイトのうち、活火山に関するサイト
(文献3−a)
(文献3)のうち、「日本活火山総覧(第4版)」(2013年版)
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
(文献3−b)
(文献3)のうち、「八甲田山」、「十和田」、「八幡平」、「岩手山」、
「秋田駒ケ岳」、「栗駒山」の、各項
(文献4) 吉田、西村 中村 共著 (大谷 長谷川、花輪 編集)
「現代地球科学入門シリーズ 第7巻 「火山学」」共立出版 刊 (2017)
のうち、 表1.1「日本の活火山リスト」 (2016年時点、原典は気象庁)
(文献5) ウイキペディア日本語版の、「田沢湖」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96#cite_note-7
(2023年12月 閲覧)
(文献6) 鹿野、大口、林、矢内、石塚、宮城、石山 共著
「田沢湖カルデラとその噴出物」
「地質学雑誌」、 第126巻、p233-249 (2020)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/126/5/126_2020.0001/_pdf/-char/ja
(文献7) 産総研 地史地調査総合センターのインターネットサイトのうち、
「第四紀火山」の項(の「焼石岳」の項)
https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/index.html
(2023年12月 閲覧)
(文献8) 北村 著
「5萬分の1地質図幅説明書;焼石岳」
(旧)地質調査所 発行 (1965)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_06050_1965_D.pdf
(文献9) 大沢、舟山、北村 共著
「地域地質研究報告; 5 万分の 1 図幅、秋田(6)第 41 号;川尻地域の地質」
(旧)地質調査所 発行 (1971)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_06041_1971_D.pdf
(文献10) ウイキペディア日本語版の、
「岩手・宮城内陸地震」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E5%86%85%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87
(2023年12月 閲覧)
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、第4章「奥羽脊梁山脈と火山群」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」 朝倉書店 刊 (2017)
の、第9部「(東北地方の)活動的な火山」のうち、
9―3章「脊梁火山列」の、各火山の項
文献3) 気象庁のインターネットサイトのうち、活火山に関するサイト
(文献3−a)
(文献3)のうち、「日本活火山総覧(第4版)」(2013年版)
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
(文献3−b)
(文献3)のうち、「八甲田山」、「十和田」、「八幡平」、「岩手山」、
「秋田駒ケ岳」、「栗駒山」の、各項
(文献4) 吉田、西村 中村 共著 (大谷 長谷川、花輪 編集)
「現代地球科学入門シリーズ 第7巻 「火山学」」共立出版 刊 (2017)
のうち、 表1.1「日本の活火山リスト」 (2016年時点、原典は気象庁)
(文献5) ウイキペディア日本語版の、「田沢湖」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96#cite_note-7
(2023年12月 閲覧)
(文献6) 鹿野、大口、林、矢内、石塚、宮城、石山 共著
「田沢湖カルデラとその噴出物」
「地質学雑誌」、 第126巻、p233-249 (2020)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/126/5/126_2020.0001/_pdf/-char/ja
(文献7) 産総研 地史地調査総合センターのインターネットサイトのうち、
「第四紀火山」の項(の「焼石岳」の項)
https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/index.html
(2023年12月 閲覧)
(文献8) 北村 著
「5萬分の1地質図幅説明書;焼石岳」
(旧)地質調査所 発行 (1965)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_06050_1965_D.pdf
(文献9) 大沢、舟山、北村 共著
「地域地質研究報告; 5 万分の 1 図幅、秋田(6)第 41 号;川尻地域の地質」
(旧)地質調査所 発行 (1971)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_06041_1971_D.pdf
(文献10) ウイキペディア日本語版の、
「岩手・宮城内陸地震」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E5%86%85%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87
(2023年12月 閲覧)
このリンク先の、7−1章の文末には、第7部「東北地方の山々の地質」の各章へのリンクを付けています。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
・初版リリース;2021年5月16日
△改訂1;文章確認、7−1章へのリンクを追加、書記事項追記(2021年12月29日)
△改訂2;奥羽山脈の地質の説明として、他の部(山域)と同様に、主要な火山を、形成史を主体に詳しく説明する方針に変更した。
そこで、元々(旧)7−7章で、奥羽山脈の火山群の簡単な説明と、火山フロントに関する説明をしていたところ、奥羽山脈の山々を3つの章で詳しく説明することとし、全面的に書き直した。
具体的には、この(新)7−7章では、奥羽山脈の火山群のうち、北半分(八甲田山から栗駒山)の火山について、その形成史を中心に説明した。また山ではないが、関連地形として、十和田湖、田沢湖についても説明した。
本文以外にも、添付写真、引用文献なども全面的に変更した。(2024年1月30日)
※ なお(新)7−8章では奥羽山脈の南半分の火山群の説明、(新)7−9章では、奥羽山脈の山々のうち、非火山性の山地の説明と、奥羽山脈の隆起に関する説明、とした。
また、(旧)7−7章で説明していた「火山フロント」の形成メカニズムは、詳しく調べると諸説あって今だ研究途上のようなので、説明を省いた。
△最新改訂年月日;2024年1月30日
△改訂1;文章確認、7−1章へのリンクを追加、書記事項追記(2021年12月29日)
△改訂2;奥羽山脈の地質の説明として、他の部(山域)と同様に、主要な火山を、形成史を主体に詳しく説明する方針に変更した。
そこで、元々(旧)7−7章で、奥羽山脈の火山群の簡単な説明と、火山フロントに関する説明をしていたところ、奥羽山脈の山々を3つの章で詳しく説明することとし、全面的に書き直した。
具体的には、この(新)7−7章では、奥羽山脈の火山群のうち、北半分(八甲田山から栗駒山)の火山について、その形成史を中心に説明した。また山ではないが、関連地形として、十和田湖、田沢湖についても説明した。
本文以外にも、添付写真、引用文献なども全面的に変更した。(2024年1月30日)
※ なお(新)7−8章では奥羽山脈の南半分の火山群の説明、(新)7−9章では、奥羽山脈の山々のうち、非火山性の山地の説明と、奥羽山脈の隆起に関する説明、とした。
また、(旧)7−7章で説明していた「火山フロント」の形成メカニズムは、詳しく調べると諸説あって今だ研究途上のようなので、説明を省いた。
△最新改訂年月日;2024年1月30日
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- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 19 更新日:2023年03月18日
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