お遍路第1〜19番札所 焼山寺山
- GPS
- 57:32
- 距離
- 115km
- 登り
- 2,371m
- 下り
- 2,366m
コースタイム
- 山行
- 10:51
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 11:50
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 1:18
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:18
6:30 板東駅 →6:51 霊山寺 →7:18 極楽寺 →8:04 金泉寺 →09:40 大日寺 →10:09 地蔵寺 →11:31 安楽寺 →12:05 十楽寺 →13:34 熊谷寺 →14:28 法輪寺 →15:32 切幡寺 →18:00 鴨の湯いやしの舎
5/4 34.3km 3.15km/h
6:07 鴨の湯いやしの舎 →6:53 藤井寺 →11:36 焼山寺 →13:51 神山遍路小屋 →17:01ペンションやすらぎ
5/5 38.9km 4.1km/h
6:32 プチペンションやすらぎ →7:02 おやすみなし亭 →7:48 大日寺 →8:48 常楽寺 →8:50 國分寺 →9:11 観音寺 →10:14 井戸寺 →12:04 眉山遍路小屋 →14:43 恩山寺 →15:52 立江寺 →16:02 立江駅
天候 | 一日目霧雨後曇り、二日目曇り、三日目晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険な箇所なし。 地蔵院と徳島市街地の分岐で、どちらを選ぶかで私は道に迷いました。 |
写真
感想
四国でお遍路さんをしてきました。
今回は第一番から十九番札所までの105kmを歩きましたが、寝袋やテントを背負って、延々と国道を歩くのはまさに苦行です。(今となっては弘法大師が歩いた道の9割がアスファルトのようです。)
江戸時代は行き倒れるお遍路さんも多く、そのまま村人に葬ってもらうために、杖は墓標、編笠は棺桶、白衣は死に装束として使えるようになっています。
四国にはお遍路さんをもてなす『お接待』という文化があり、私もテッシュが入ったふくさ、うどん、みかん、バナナ、100円、長く歩ける手作りわらじのお守り等を頂き、人の優しさにふれ、日頃の自分を恥じるばかりでした。
道中ところどころに有志で立てた遍路小屋があり、飲み物やみかんを置いている所や、雑魚寝ですが無料で宿泊できる所もあります。
遍路小屋の世話をされている方に「どうしてこんなに親切にしていただけるのですか?」と聞くと、お年寄りの場合はお遍路さんには弘法大師が付き添って一緒に旅をしているとの信仰があり、大師様へのご奉仕という気持ちがあるだろうが、そのかたの場合は、合計1,116kmの道のりを、杖にすがり、足を引きずりながら歩くお遍路さんを見て、純粋に何か手助けをしてあげたいというお気持ちとのことでした。
P.S.
鴨の湯いやしの舎には外人カップル、フランス人女性を始め10人ほどが泊り、庭のテーブルで宴会になりました。フランス人女性は日本文化の取材で徳島に駐在のレポーター、親から継いだ工務店が開店休業状態でぶらりと車でお遍路をしている中年男性、介護士を辞めた若者、修行中の若いお坊さん、不登校らしき高校生等など、話を聞くといろんな方がおられる。
翌日は焼山寺から元介護士とお坊さんと高校生とご一緒することになった。皆さんは通し打ちで、費用を抑えるためキャンプ場に泊まるため別れたが、私もずっと一緒に旅をしたい気持ちで一杯だった。
この三日間は「お遍路ってどない?」っという程度のお試し気分だったが、帰路に着く頃は、区切りで八十八ヶ所を回る決意を固めていた。
コメント
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ほぼ日帰り遍路で、しかも焼山寺とばして立江寺まで打ちました。(4日)
6月には焼山寺に行けたら・・と思ってます。
スピードがすごいですね。
結局、地蔵院の遍路道は通られなかったのですか?
とても趣のある道でしたよ。
ダウンロードしたGPSデータに基づいて、徳島市街地を歩きましたが、あとで聞くと地蔵院の山越えも良いルートのようですね。
実は他で仕入れた区間距離で立江駅到着時刻を予測していたのに、どうも最短の地蔵院コースの区間距離だったようです。
4km一時間の遅れが出でれば、帰りの高速バスに間に合わないので、最後は小走り状態でした。
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