赤城山西南面の遺跡と考古資料館めぐり
- GPS
- 07:59
- 距離
- 50.8km
- 登り
- 671m
- 下り
- 653m
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
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写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
日よけ帽子
靴
ザック
行動食
飲料
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
日焼け止め
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
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感想
群馬県埋蔵文化調査事業団で上部道路建設に伴う赤城南麓地位にの発掘作業終了を記念して、その速報展示会があった。講演やギャラリートーク(展示解説)もあったので、滝沢石器時代遺跡(赤城歴史資料館)や北橘歴史資料館とあわせて、レンタサイクルの旅をした。メタボ対策と体力維持を兼ねての赤城山麓の旅だった。雨と思っていた天気が好転しそうなので、バスから自転車に切り替えたため、予定より一時間以上早めに出発、前橋駅で15分も電車が足止めを食い、9時30分過ぎにようやく前橋に到着、急いでレンタサイクルのある自転車置き場にある受付で手続きをして出発、9時45分近くで予定より15分遅れ。
線路沿いに少し進んでから11号線に入り、直進するとそのまま17号線に入って渋川に向かう。群大病院を過ぎ、駅から30分くらい走ると視界が開け左手(西側)に榛名山が突然見えてくる。中央の榛名富士、左側に掃部岳、右に二ツ岳とその手前の水沢岳が見えている。あの二ツ岳から恐ろしい火砕流などで、多くの村々が呑み込まれたのだった。埋文事業団の近くにある橘山、城山などの中世城跡のある小山を見ながら進み、目的地の埋蔵文化財事業団の入口を過ぎると坂東橋に出る。思わず、道なりにわたりそうになるが、利根川を渡るはずもなく、右折して、利根川左岸沿いの道に入る。この道はアップダウンが大きく、坂東橋先を少し登って、すぐ渋川市街地方面に左折、緩やかに下ると34号線とのT字路に出る。ここを右に登り返すと、おそらく北橘歴史資料館に出るだろう。当初の予定では初めに北橘資料館を訪問する予定だったが、図録などの荷物の増えないうちに山の中腹にある滝沢石器時代遺跡や出土品などのある赤城歴史資料館を先にする。しかし行き方が良く分からない。地図は調べたが、様々な道が交錯して、アップダウンがあり、GPSを見て試行錯誤しながら進む。誤って利根川に向かってしまい、方向が違うとGPSなどを調べ、資料館にも電話して位置を確かめる。しかし変なところを進んでいるので、資料館の人も道案内できかねている。加熱道の東側を進むようなので、なんとか加熱道を越えるように方向転換する。標高差30m位の登りーー関越道の下のトンネルを越えて行くと、関越道を離れていくので、急な左の登りを進むと、なんとか関越道沿いの道に復帰、再びアップダウのある道を進むと、今度は天竜川に向かって下り、橋を渡って進むと、再び別の川に向かって下る場所に出る。さて、これからどう進むべきかーー目的地の資料館は関越と少し離れて北東に登ったところにあるので、ここでは川に下らずに353号線を北東に進むーーしかし少し行き過ぎたらしいので、資料館に電話するが、自分の位置を知らせる目印がない。先に神社を通過したが神社だらけなのでわからないという。仕方なく神社まで戻って神社の名前、八幡社を告げる。八幡社の左の道を進むことにする。八幡社からは少し下り、再び標高差40m近く登る。すると滝沢石器時代遺跡の看板がある。道標に沿って右折して遺跡見学に向かうが、なかなか遺跡が見えない。ピークまで登っても遺跡がないので、資料館に電話して場所を確認し、遺跡に向かう。遺跡には解説の看板と石碑だけがあり、遺跡は埋め戻して保存されている。遺跡の丘の上からは榛名山が眼前に大きく見える。石器時代の人々はここから夏至や冬至の日の出や日の入りを眺め、祈りや祭祀を行っていたのだろうか??
さて、この遺跡から資料館に向かおうとするがやはり道がわからない。三度資料館に電話すると、業を煮やしたのか女性が車で迎えに来た。先の看板の道まで戻って直進すればよかったのだ。しかしけっこう登りがきつい。看板が標高325m、資料館は380mであった。資料館に到着し、汗だくの体をふき、水をいただいて呼吸を整える。資料館の女性二人が歓迎してくれる。−−資料館の中身は立派だ。滝沢石器時代遺跡をはじめ、石器時代から縄文、古墳時代(火山噴火で埋まった日本のポンペイ=黒井峰遺跡)の他、中世の遺物(国指定の重文、不動寺の不動明王立像=馬見岡凝灰岩製)の写真などが展示されている。また歌舞伎や人形劇の衣装、神楽や獅子舞などの面や衣装などもなかなか見事なもので、見学する価値は十分だ。だが、山の中腹で車でなければ行くことが難しく、見学者がほとんどいないのが残念だ。12時20分近くになり、急いで図録を購入して資料館を辞し、埋蔵文化事業団に急いで戻る。
館を出てすぐ、曲り道を間違える。すぐ気付き、GPSを見ながら来た道を引き返す。途中何カ所かで間違えているが、関越道まではスムースに戻った。下り基調なので帰りは早い。しかし関越道沿いの道は途中で山に突き当り、どの道を選ぶか迷う。行きの道は少し渋川市街よりなので、もう一本先の道を進むと、いったん下ってから登りと下りの分岐に出る。登りは関越道の東側の斜面を進むが勾配が急なので途中で引き返し、川沿いに一旦下ってみる。するとなんとか34号線に復帰して、そのまま156号線との分岐のT 字路に出る。このまま34号線を登ると北橘資料館に出るが、時間がないので、群馬埋文事業団のイベントに参加してから再び戻ることにした。坂東橋手前から17号線に戻り、木曽神社入口バス停のある交差点から事業団に向かってまたまた斜面を登る。近道をしてあまりに急なので自転車を押して上に出る。もう足はパンパン。最後の力を振り絞って事業団に13時ころ滑り込む。発掘情報館の二階の研修室の会場に向かうと、これから始まりますと資料を渡され、滑り込みセーフ。今回は上部道路建設のための緊急発掘調査の結果を報告する展示があり、その展示関連の講演とギャラリートークだ。講演は中世の石造物に関するもので、考古学では珍しいテーマで、それなりに面白かった。木曽義仲の流れをくむもの、新田義貞や里見家に関係する武士団による寺院と石造物ー名号石塔、五輪塔、板碑などがこの地域に存在しているが、石像では不動寺の明王像を含め、凝灰岩が使われているものが多い。中でも馬見岡凝灰岩という天神山(上毛鉄道赤城駅南西=岩宿遺跡の近く)で採れる凝灰岩が使われている。この凝灰岩は埼玉県比企郡など他地域の凝灰岩に比べて、きめ細かく、白色度が高いとして、より高級な石材として使われたらしい。この石材は遠くは横浜や鎌倉まで運ばれていたようだが、詳しい流通などはわかっていないそうだ。この地域にある五輪塔の中で國指定重要文化財になっているものは、建てられた年や施主などが詳しく分かるものらしい。また破損などなく完品だ。講演が終わり、休憩を入れて展示解説(ギャラリートーク)が始まる。上部道路建設地域にともなう発掘により出てきた40カ所以上の遺跡のうち、石器時代から鎌倉時代までの展示品を次々に解説していく。この南麓地域からは、これまでの定説を覆すほどのものは出ていないようだ。中でも見どころは破片ながら巴形銅器(楯などの飾り)や須恵器の「はそう」、製鉄用の銑鉄を注ぐ「取鍋」などかな?ギャラリートークが終了し、展示を含め撮影する。八ッ場ダム周辺の発掘が進んで、遺跡遺物が展示されている。複雑な気持ちだ。この地域は想定以上に多数の遺跡があり、古い時代にはこうした河岸段丘上に人が住み付いていたようだ。その他、縄文時代、古墳時代の遺物が整理されてわかりやすく展示してあり、最後に話題の金井東裏遺跡の展示を見て、事業団を後にする。講演をした事業団の学芸員の方が受付に座っていたので、北橘歴史資料館への生き方を尋ねる。今日走った156号線と34号線の分岐から登るよりも、事業団から下って、突き当りを右折して、木曽神社の前を通過して34号線まで登り、左折して34号線を上から進んでいけば、資料館に出るという。今回はそのアドバイスに従って木曽神社に向かって登る。途中、聖酒造があり、帰りに立ち寄るつもり。34号線に出る手前に木曽三社があり、想像以上に雰囲気のある神社だった。石段を登るとその先は深い谷底で古めかしい感じの神社があるが、史跡、文化財指定はないようだが、県の環境保存地域に指定されている。「セキショウ」の群落などがあるらしい。さて、34号線を少しづつ登り、北橘資料館に向かう。間違えては大変なので途中で電話を入れて場所を確認する。最後は少し下って大きな塔のようなものの近くまで進むと、資料館があった。資料館に入り、受付の男性と少し話をする。ここは縄文の遺物が中心という。道訓前遺跡の土器などが中心で、江戸博の日本発掘展で見たというとにこりとした。目玉の縄文中期の土器はさすがに迫力があり、4人の縄文人が手をつないでいるような模様が入っている。見ごたえがあり、しばらく撮影しながら眺めていた。このような土器の模様が実際何を意味していたのか、その縄文人はどのような状況で何を思っていたのか?土器づくりは女性の仕事らしい(現代の民族誌の調査から土器づくりは女性の仕事)ので、こんな大きな土器をつくるのはさぞ大変だったろうと思いを巡らせる。5時近くになり、図録を求めてから急いできた道を登り返して木曽神社を通過し、聖酒造に出る。既に5時を回って閉館したかと思ったが戸が開いているので声をかけたら、まだ購入できるという、利き酒もあるので、生酒や純米酒、大吟醸に濁り酒、米焼酎までいろいろ試してみた。中々旨い、これはいけるーー選んで数種類購入、宅急便で送っていただくことに。違った道を教わって聖酒造や木曽三社神社に行くことができ、良かったと思う。帰りは前橋駅まで、結構長い感じがする。結構今日は走って、目的は達成できたことに満足。新幹線の中で聖酒造の純米生酒の特別仕様の小瓶をなめながら帰宅した。
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