大雪山 遭難記録
- GPS
- 12:33
- 距離
- 14.1km
- 登り
- 1,180m
- 下り
- 1,219m
コースタイム
- 山行
- 10:57
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 11:16
- 山行
- 4:18
- 休憩
- 0:12
- 合計
- 4:30
天候 | 6:00 小雨 黒岳ロープウェイにて出発 リフトが動いていなかったので5号目から歩き ↓ 7:00 7号目あたりから雪がちらつく ↓ 8:00 黒岳山頂到着 このあたりから雲行きが怪しくなり、吹雪いてきました。この時点で引き返すべきでした。 ↓ 10:15 北海岳付近に到着 稜線上での風が強く、視界は10mほど。 ここから数分で一気に猛吹雪へ。 ↓ 10:30 白雲岳へ向かう途中GPSが正常に作動しなくなり、この時点で引き返しを決意しましたが何もかもが遅かったです。 この時点で視界は1mほど。周りに障害物も何もないため来た道すらわからない状況に。 ↓ 13:00 登山道への復帰もできず、体力の消耗を感じたため岩陰を見つけビバーク。 天気は変わらず猛吹雪 ↓ 15:00 相変わらず猛吹雪のままなのでこのまま1夜を過ごすことに決める。 ここから24時までずっと吹雪いていました。 ↓ 翌5:30 日の出とともに行動開始。 この日は最後まで無風&快晴でした。 |
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過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
黒岳5号目までロープウェイを使用 |
コース状況/ 危険箇所等 |
黒岳山頂までは積雪10cmほど そこから先は場所によっては30cm以上でアイゼンを使用しました。 |
写真
感想
今回は自分の無知と楽観的な判断によって雪山遭難を起こしてしまいました。自分への戒めとして、さらに同じような失敗をする人がいないように今回の遭難の詳細を以下に記録します。
今回の元々の山行予定は
2泊3日での黒岳→トムラウシ→十勝岳への縦走でした。
初日にヒサゴ沼分岐、2日目に美瑛富士避難小屋での宿泊を予定しており、かなりのハイペースの計画でした。
無雪期最後の集大成ということでかなり前から計画していたこともあり、今回天候が怪しくなり始めた時に早い段階で引き返すという判断ができなかった要因の一つとなりました。さらに10/4日に初冠雪という山行直前の積雪によって中途半端な雪山対策で臨んだことも今回の失敗でした。
⚫︎遭難までの経緯
層雲峡で前泊し、午前6時にロープウェイにて出発。黒岳山頂までは雪は降っていたものの風も少なく順調な足取りでした。
そこから天気は下り坂となり、北海岳へ向かうまでに風も強くなり視界も落ちていきました。この時点で引き返すべきでしたが、
・前々から計画していた無雪期最後のこの山行を達成させたいという思い
・体力的にも準備を費やしてきた自分への過剰な自信
・天気予報では午後から天候は落ち着くという事前情報
・トムラウシ方面ではまだ積雪が始まっていないため、ここを抜ければなんとかなる
さまざまな要因によって山行を強行してしまいました。
白雲岳へ向かう途中、GPSが不調になり進んでいる方向がずれていることに気づく。視界もほぼなく流石にまずいと思い引き返すことを決意しましたが、時すでに遅し。歩いてきた足跡もわからず方向も曖昧な状況に陥りました。この時初めて遭難したと自覚し、頭には絶望の2文字。スマホも圏外なため救助も呼べず、3日間の山行予定のため救助の希望もなし。地図を見てなんとか元来た道を探そうとしますが、どこを向いても同じ真っ白な視界が広がっているため小パニックになりました。
行動食も取らずに3時間ほど徘徊していたため体力の消耗を感じ、13:00頃、一旦岩陰にテントを張り、食事をとって天候の回復を取ることに決めました。
積雪地帯でテント泊する予定はなかったため、シャベルもなく、持ってきていたのは無雪期用のテントのみで自分の準備不足を嘆きました。さらに安物の防水カバーを使っていたためザック内の着替えと寝袋も若干湿っているという最悪の状況でした。
15:00頃まで待っても天候は回復せず風は強くなるばかりで、今から行動してもムダな体力の消耗と、日没が先に来てしまうと判断し、明日の天候回復を信じてこのまま一泊することを決意。
標高は2067m、いつ吹雪が止むか、夜には氷点下何度まで下がるかもわからず、十分な雪山装備のないまま一夜を越せるのかという不安、もしかしたらこのまま死んでしまうかもしれないという恐怖でいっぱいでした。
⚫︎ビバークの詳細
13時にテントを張ってから、日の出(5時30頃)に行動できるまで少なくとも16時間以上耐えなければいけないという事実に絶望して死を考えてしまう、ということを繰り返していました。
そんな中テント内はおそらく-5℃ほど(もっと寒いかもしれません、体感は-10℃くらいでした。)身動きせずじっとしているだけなので、時間の流れはとても遅く一向に体は冷えていくばかりでした。テントの設営で手袋は水浸しに、靴下も湿ったものしかなく手足の冷えが1番きつかったです。
さらに不運なことにガス管の火をつけるためのライターが使えなくなっており、残っていたのは予備に持っていた若干湿っているマッチのみ。火をつけるのが困難なため2.3時間に一回火をつけて食事をとり、お湯を温める(ガス管使用時はテント内も換気を忘れず)という使い方で乗り切りました。ライターは必ず濡れないところに、また予備にもう一つ必ず持っておくのが良いです。
17時30ごろ日が沈みあたりが暗くなってくると気温も下がり、1人の孤独感も強くなっていき精神的にもかなり疲れてきていました。まだ12時間以上耐えなければいけないという事実にも押しつぶされそうになりました。
予想通り、無雪期のテントと寝袋では圧倒的に寒く、手足を擦ってわずかながらの摩擦熱で耐える、ということを延々と繰り返していました。
明日まで生き延びれば必ず助かると信じ(2日間この寒さを耐えることはできないと判断)、非常食に加え、3日分の行動食ほとんど全てを使い切る配分で食事をとりました。この判断は実際正しいのかは分かりませんが、結果的にカロリーを切らさなかったことは生き延びれた大きな要因だったと思います。
21時頃になると低体温症の症状であろうか、ひどい頭痛と震えが止まらなくなりはじめ、本気で死を予感しました。ここからはガス管の使用頻度を高め、1.5時間に1回の頻度でお湯をのみました。
24時頃にやっと外の吹雪が収まり精神的には少し楽になりましたが、そのせいか1時30頃まで眠ってしまい(いつ気を失ったのかわからなかったのでほとんど気絶でした。)起きた頃にはひどい頭痛と震えが出ないほど体が凍えていました。すぐにお湯を炊き飲み干しましたがここでマッチがなくなりそこから4時間ほどは気力で体を動かし、寒さを耐えました。
翌朝、日の出後にテントを出ると昨日までの視界が嘘のように晴れており、少し安堵。そこからは順調に登山道に戻り黒岳石室で小休憩をとりゆっくりと下山しました。
改めて今回の遭難は自分の危機感のなさや圧倒的な準備不足によるもので命を落としてしまっていた可能性も十分にあり、本当に反省しています。
今後はこのようなことがないよう、最悪の状況に対応できる入念な下準備、無理な山行を強行しない判断を心がけたいと思います。
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