記録ID: 6788546
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ハイキング
日光・那須・筑波
深山ダム.鬼ケ面山.沼原.三斗小屋宿跡周回
2024年05月11日(土) [日帰り]
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:12
- 距離
- 17.5km
- 登り
- 819m
- 下り
- 842m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 6:45
さんど どご やじゅくあと
史跡:三斗小屋宿跡
那須塩原市指定文化財
昭和四十四年七月十日指定
三斗小屋宿は、元禄八年(一六九五)に会津藩によって
整備された会津中街道に設けられました。北には国境となる大峠、南には麦飯坂があり、この一帯は街道一の難所である。
江戸時代の末期に修験道の白湯山はくゆさん信仰が盛んになるとその登山口として栄え、今なお寄進された常夜灯や石仏・大鳥居(平成十九年復元)などが残っています。
慶応四年(一八六八)の戊辰戦争の際、会津軍(旧幕府軍)と新政府軍との激しい山岳戦が展開され、戦火により宿の十四戶が焼失しました。宿跡南の墓地には、この戦死者の墓が残っています。
明治二十六年(一八九三)には三斗小屋に銅山が開かれ、宿の近くで精錬が行なわれました。明治四十一年(一九〇八)五月の大火で十四戶すべてが焼失し、昭和三十二年(一九五七)に最後の一戸が転出して以降、無人の地となっています。
那須塩原市教育委員会
史跡:三斗小屋宿跡
那須塩原市指定文化財
昭和四十四年七月十日指定
三斗小屋宿は、元禄八年(一六九五)に会津藩によって
整備された会津中街道に設けられました。北には国境となる大峠、南には麦飯坂があり、この一帯は街道一の難所である。
江戸時代の末期に修験道の白湯山はくゆさん信仰が盛んになるとその登山口として栄え、今なお寄進された常夜灯や石仏・大鳥居(平成十九年復元)などが残っています。
慶応四年(一八六八)の戊辰戦争の際、会津軍(旧幕府軍)と新政府軍との激しい山岳戦が展開され、戦火により宿の十四戶が焼失しました。宿跡南の墓地には、この戦死者の墓が残っています。
明治二十六年(一八九三)には三斗小屋に銅山が開かれ、宿の近くで精錬が行なわれました。明治四十一年(一九〇八)五月の大火で十四戶すべてが焼失し、昭和三十二年(一九五七)に最後の一戸が転出して以降、無人の地となっています。
那須塩原市教育委員会
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
家庭の事情で、遅出。
深山ダム→鬼ケ面山おにがつら山→沼原ぬまっぱら→三斗小屋宿跡→周回。
深山ダムからは、三倉山・大倉山見えます。
鬼ケ面山向かう途中急登で、鹿さんとご対面。
がさがさ音がして、逃げていく後ろ姿を見た。
鬼ケ面山頂上付近では、たぶん笹を食べたであろう、濃い緑色の糞が4か所。
たぶん、熊さんの糞と思う。1日か2日たった感じ。
今回、マイナーな登山道なので、熊対策。
熊鈴、笛、おもちゃのピストル、熊おどし(爆竹)を定期的に鳴らす。
沼原で、お昼。
軽装なハイカーさんたちがけっこう来て。
沢では浄水器使って、沢水飲む。
ちょっとした沢で安心して沢水を飲めるのは、嬉しい。
これからの山行、行く前にどこに沢があるかも把握しておくのも重要と思った。
三斗小屋宿跡。芝生みたいな広い場所あり。。。
手前に墓地があるのが・・・・(笑)
三斗小屋宿に先に橋があり
その近くに、動物の足跡の看板。
おおいに参考になる。
三斗小屋宿の先に4WDの車。
たぶん、三斗小屋温泉の方のかな・・・と
勝手な推察。三斗小屋へは、ここからはかなり近い。
距離はあったけど・・林道、舗装道が多いので、早く歩けて・・いがいと楽だった。
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