岩手山と東北縄文4)奥松島・大高森から360度の展望の後、松島湾貝塚巡り、地底の森ミュージアムを見学し、北仙台までクロスバイクの旅
- GPS
- 11:08
- 距離
- 77.1km
- 登り
- 402m
- 下り
- 374m
コースタイム
- 山行
- 10:56
- 休憩
- 0:13
- 合計
- 11:09
天候 | 雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
感想
昨晩は雨だったが、4時ごろ目が覚めて外を見るとやはり雨、あきらめてもうひと眠りーー5時頃起き出して、昨夜洗濯したサイクルシャツなどを下に見にいく。生乾きだが、これ位なら今日はどうせ雨だからよいだろうと、サイクルウエアに着替える。いすずさんが早いねと顔を出す。「雨がやんだので、散策に行ってくる」と、水とGPS、カメラなどを持って出かける。最初に少し走りだすとすぐに東貝塚の看板、昨日、縄文村の学芸員さんが言っていた通りだった。最初に大浜集落に向かう。ハイキングコースが無事ならば嵯峨渓に登るつもりーーしかし大浜に出ると、やはり太平洋側に面しているためか、そこら中が工事中で、中には入れないため、あきらめて、次の目標の室浜海岸に向かう。しかしこちらも同様工事中で、とてもハイキングどころではない。嵯峨渓はあきらめ、少し先を登ってみる。すると嵯峨見台遊歩道という道標があり、その坂を少し登ると入り江の港が見えたので撮影する。嵯峨見台遊歩道もどこまで進むのかわからないので、戻って予定の大高森展望台に向かう。6時半をすでに回っているので、大急ぎで山道を登ると最後は階段を登って標高104mの展望台(山頂)に出た。突然視界が開け、松島湾が姿を現す。展望台に出るとそこは360度の絶景。昨夜は雨だったので、晴れ間もなく、何も見えないかと心配したが、遠くは雲に覆われているものの、松島湾の島々はすべて見ることができた。ラッキー――展望はないものとあきらめていたのにーー。松島湾の反対側、太平洋側を見る。樹木の間から見える海岸線を追っていくと嵯峨渓らしき細長い半島・三崎が見えた。嵯峨渓だ。さっき、クロスバイクでそのつけ根付近にいたばかりなのに、もうかなり遠く感じられる。360度撮影して、すでに7時、いそいで下山して、再びクロスバイクに乗って民宿に戻る。朝食を食べ、いすずさんんいbお礼を言って、宿を後にする。すでに8時を回った。奥松島、宮戸島の風景を撮影しながら、先を急ぐ。このコースは海抜0メートルに近い松島湾沿岸を進むのだが、海に迫る尾根を越えるたびに大きな登り下りを繰り返すので、自転車では結構きつい。何度もきついアップダウンを繰り返すと、宮戸島から1時間くらいで、セブンイレブンが見えてきた。西ノ浜貝塚の入口だ。 西ノ浜貝塚に関する松島町のHPには、
「松島湾の北西部にあり、海岸に突き出した標高15mの舌状台地から海岸部にかけて立地しています。
規模は東西130m、南北200mに及び、松島湾では大木囲貝塚(七ヶ浜町)、里浜貝場(東松島市)と並ぶ東日本の代表的な貝塚です。
縄文時代を中心としていますが、浜辺には古代の製塩土器も分布しています。
釣針、銛、骨匙などの骨角器をはじめ、多くの遺物が出土しています。」
とある。ここは国指定史跡だが、展示館はなく無人でいつでも入れる。既に9時を過ぎてしまっている。貝塚は少し小高い丘の上から斜面向うの窪地の下までつづいているが、予定より遅れているので上から撮影するだけで、9時半前に次の大木囲貝塚に向かう。
10分足らずで松島町の中心部に出る。時間は余り無いが、せっかくだから五大堂前にクロスバイクを止めて、散策、瑞岩寺による五大堂縁起の看板がかかっていた。お堂まで歩いて、お堂や周囲の松島の風景を撮影、予定では国宝瑞岩寺や松島博物館に立ち寄るつもりだったが、時間が無くなった。また来る理由になる。観瀾亭松島博物館には西ノ浜貝塚出土品も少し展示してあるらしいが、東北歴博で少し見たのでよしとしよう。
松島海岸を過ぎて10時前になり、ひたすら走る。30分以上走って塩釜港付近に出る。すでに予定時間10時半に近づいている。塩竃湾をぐるっとまわり、貞山運河にかかる貞山橋を渡って、一登りで七ヶ浜町にある大木貝塚・歴史資料館に到着する。クロスバイクを駐車場に入れて、受付で来訪を告げると、学芸員さんの田村さんが現れ、一呼吸おいて展示から案内していただく。
大木囲貝塚は、東北物語という観光案内のHPには
「 松島湾内三大貝塚のひとつである大木囲貝塚(だいぎがこいかいづか)は、縄文時代前期前半から後期前半の大規模なムラの跡です。
隣接する七ヶ浜町歴史資料館には、大木囲貝塚から出土した土器などを収蔵、展示しています。
また、大木囲貝塚にはヤマザクラを中心に野生種の桜が180本以上植えられており、「だいぎ桜」と呼ばれるエドヒガンという品種は樹齢100年以上の大木です!」
とある。wikiでは、
「松島湾の南岸、塩釜湾に突出した標高35メートルほどの丘陵上に位置する。東西270メートル、南北280メートルの楕円状[2]に数十箇所の貝層が分布している環状あるいは馬蹄形の貝塚である。貝層に囲まれた空間からは、竪穴住居跡が確認されており、一時期に6〜8軒の住居があったと考えられている。
1917年(大正6年)に松本彦七郎、1918年(大正7年)に長谷部言人、1925年(大正14年)に清野謙次、1927年から1929年(昭和2年〜4年)には山内清男・伊東信雄らによって、AからG地点の発掘調査が数次にわたって行われた。貝層が厚さ2メートルにもわたっているために縄文時代前期前葉から中期後半までの良好な層位調査を行うことができた。山内は、各層位の出土土器を大木1式から10式(後に13型式)までの型式編年を行い、現在でも宮城県を中心とした東北地方南部の前期-中期の縄文土器の編年基準として使用されている。 戦後になって、1949年(昭和24年)伊藤信雄が、1963年(昭和38年)・1965年(昭和40年)東北大学教育学部歴史研究室が発掘調査を行っている。 1972年(昭和47年)〜1981年(昭和53年)[いつ?]に七ヶ浜町が発掘調査を行い、貝層の分布と規模が判り、竪穴式住居跡一軒が検出された。」
とここに縄文時代前期前葉から中期後半までの大規模な集落と貝塚などの遺構があったことを教えている。田村さんは、最初、大木式土器など、土器の展示を開設、東北縄文初心者の私にはありがたい解説だ。
大木式土器とは、東北を中心に前期中葉から中期末葉まで継続した土器形式でwikiでは
「山内清男によって設定された縄文土器型式で、標式遺跡は宮城県宮城郡七ヶ浜町の大木囲貝塚である。 1式から10式に細分されるが、大木6式土器までが縄文時代前期に属し、7式以降は縄文時代中期に属す。
縄文時代前期から中期中葉までは、概ね秋田市・田沢湖・盛岡市・宮古市を結ぶ以南の東北地方南部を主な分布域とし、東北地方北部から北海道南西部にかけて分布する同時期の円筒土器と並行する。縄文時代中期後半に入って北東北に分布域を広げるものの北海道地方にはおよばない。
この土器は深鉢形で、火焔土器などに影響を与えたとされている。」と出ている。山内清男は偉大だーー。
大木8式(中期中葉)が最も装飾性が高く、これらが火炎土器に影響を与えたのか??特徴のある渦巻き模様などが印象的だ。磁器の寄って、装飾性の程度や模様の漬け方などが変化していくのがわかる。
またこの地域は時代を追って高台から低地に降りていき、霞ヶ浦で製塩活動が始まって少し後に製塩土器がたくさん表れている。製塩活動は縄文、弥生を通じて行われ、さらに平安時代まで続くようだ。多賀城の国府が大都市に成長すると、七ヶ浜の人々は塩やアワビ、昆布などを多賀城の市場に売るなど、新たな時代に入った依田。こうした歴史を見ると、列島の縄文社会から古代に至るまでの人と文化の継続性がを理解することができる。現代日本人に縄文人のDNAが残っていることもうなづけるのだ。
海産物を多賀城に供給した際に使われたと思われる厨印も展示されていた。
展示解説が終わり、貝塚見学に出かける。ここは貝塚の国史跡としては指定範囲は全国最大規模らしい。広い史跡内の西側から東側まで歩きながら、山内清男氏発掘のA地点などいくつかのポイントを見る。貝塚そのものは地下に眠って保存されている。貝層は栗面などの展示が屋外にないのは少し残念。見学途中、東北の縄文研究や文化財関係の職員について、話を聞いたが、縄文研究者の数は減り続けているそうで、宮城では里浜の館長さんや限られた数の研究者しかいなくなり、多くは多賀城関係や近世考古などに移っているという。二時間あまり、田村さんに解説していただき、大変お世話になった。資料館に戻ると次の奈良文化財研究所のグループが到着しており、休む間もなく対応されていた。12時半過ぎ、、館を後にして、京の最終目的地、長町にある地底の森ミュージアムに急ぐ。本当は塩竈神社+博物館や陸奥国分寺、郡山郡衙など行くべきところはたくさんあり、予定も作っていたが、雨の中のサイクリングで時間が押せ押せになり、結局多くはキャンセルした。仙台まで先は長い。最短距離をまっしぐらに長町に向かうが何も食べていないので、長町付近で中華定食を食べ、なんとか予定の二時半を15分くらい過ぎて、ミュージアムに入る。
ここでは館の方に30分くらい、最初の地化の出土した湿地林を保存展示している大きな楕円形の施設を案内していただき、その後、別の部屋の展示を見て、3時半過ぎに外の氷河時代の樹木などの植栽してある庭を散策し、4時前に出発、4時半前に北仙台のサイクルショップにクロスバイクを返却、清算して急いで仙台駅に戻り、荷物を回収して、予定の新幹線に滑り込んで青森に向かった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する