私は築59年の物件だ。そろそろ還暦の声が近い。そういえば、最後にスキップしたのはいつだっただろう。
若いころは山に登るときは、ハンサムなカモシカのように駆け上がっていたが、今ではハンサムなカタツムリのように登っている。最近では登りがきついと、山頂まで動く歩道が完備していればいいのに、と願ってしまう(それって登山っていうか?)。さらに、わずかしか登っていないのに、ぶらり途中下山したくなってしまう。
外見も老化してきた。ハゲはデフォルト。背中は曲がり、ちょっと突っつけば倒れそうな姿だ。老人というものは、外見とは異なり精神面では歳とともに経験を重ね、円熟に向かうものだという。しかし私の場合、過去からイロイロとやらかしたせいで歳とともに未熟に向かっている(変態にも向かっている)。
登山中に自分より高齢の人をよく見る。彼らは健康さえ保てればいつまでも登山ができることを教えてくれる。すばらしいことだ。さらには冒険家の三浦雄一郎氏を始め、高齢でも冒険を続けている人もいる。こういった人々には希望があり、勇気づけられる。さらに私が登ることで「自分はあんな貧相には絶対になるまい」と人々に自信を与えている。
「老人と海」というヘミングウェイの小説がある。老漁夫の死闘の物語らしいが、老人を題材にした小説もあるくらいだから、老人にだって活躍するようなドラマがあることを教えてくれる。もっとも「老人と海」と言われても、無教養な私には、老人と海と部屋とワイシャツと私くらいしか思い当たらないが。
活躍している老人とは対照的に、私の場合、登山どころか家庭内でも老化が激しい。家庭内の老化の例として妻から怒られるものには、掃除のやり方、洗濯物のたたみ方、ごみの分別、オナラのタイミングなど多数ある。
唯一救われるのは、登山はレースではないことだ。標高を競わなくてもいい。急がなくてもいい。北アルプスの槍ヶ岳でも丹沢のボタ山でもいい。近所の坂道でもいい(最後のはちょっと無理か)。
老人と山。
なんだ。意外といいコンビネーションかもしれない。
老人の自覚はあります(^^♪
老いは気持ちからですよね😹
気持ちが若ければいくつになっても登れますね
アンヌ隊員はまだ登れそうな状態ではないですので、当分は単独です。いままでならアンヌが山に行きたいといい始めるから山に入っていましたが、最近は体力維持のためのトレーニングになっています。いつかまた、夫婦登山をしたいです。
若いころと比べて一番劣っているのは心拍数ですね。すぐに息が上がってしまいます。こればかりは金でもどうにもならないですね。
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