三浦半島南端の雨崎の三浦市東部浄化センター横の前方後円墳にあります。
今日3月30日(日)3 回目の探索で到達です。
きっかけはネットでhttps://from76.exblog.jp/26942751/
場所を特定する文言がなく海に近い崖を探して1日ロス。
書籍「海に生きた弥生人」中村勉著の中の小屋の画像から後円部と考えた。
小屋は廃屋となっていたがその後方の崖に半円のドーム状の窪みが目的地。
古墳時代の火葬と墓地跡と言うが岩肌に焼けた変色部があるだけ。
何故遺体を焼こうと考えたのであろうか。
復活再生を願うなら土葬するはず。
古墳時代の人々は毎日食料採取で1日が暮れていただろう。
思えば米は有難い食料だ。
保存ができ1粒が何十倍にも増える。
現代人は農家以外は食料は購入で手に入る。
考えてみると有難い事だ。
洞窟の場所は海のそばで魚、貝、海草も手に入れ易い場所。
田畑もあったかも知れない。
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