避難訓練のように打ち身訓練を小学校の頃から行うべきなのだ。打ち身先生がやってきて、笛の音を合図にバタバタを転がる。さぞ可愛らしいことだろう。手に荷物を持ったままとか、バリエーションをつけるのも良い。しかし、教育改定に忙しい現場ではそんな面倒なことを言い出す輩など居ないので、今日も子供達は転んで膝を擦りむく。
膝を擦りむくことは悪いことばかりではない。生身の自分に気がつくからだ。私は膝を擦りむいては、溶岩ドームのように膨らんだ瘡蓋を突いては、美味しそうだな、カリッと焼けたハンバーグみたいだな。と思っていた。母は手ごねのハンバーグをよく焼いてくれた。友人はそれを食べて『うちはレトルトだから全部柔らかいんだよ、羨ましい』と言ったものだった。彼女、元気かな。
そうして受け身初級で打ち身上級な生身に、久しぶりに瘡蓋をこしらえた。
雨竜沼から下山する途中、濡れた岩に足を取られてどすんと滑った。背中のザックがクッションの役割を果たしたため頭を打つことはなかったが、左肘を岩に擦り付けてしまった。長袖の化繊ウエアと皮膚が擦れ、火傷のような擦り傷を作りながら新しいウエアに孔が開かなかった事への感謝を山の神様のようなものにしつつ、肘という可動部の治癒について考察せざるを得ない事態となる。
失ってから気がつく事がある。
失ってはいないんですけれど、ただ不自由なだけなんですけれど、肘って布団や机につけるのもなんですね、いつも気がつかなくてゴメンね。
そして動きがあるだけに理想的なハンバーグになってくれない。何度も火の通りを確認した家庭料理にありがちな崩れっぷりである。そしてお風呂に入るたびに中央部分が流れていく。肉汁、もといジクジクした抽出液がにじむ。痛い。生身って、痛い。
でも、ふと、気がついてしまう。これは、カルデラだ。お鉢平(a.k.a 大雪国立公園の有毒温泉地 ヒグマも生息)が肘にある。正確には、傷の成り立ちとカルデラの成り立ちは全然違うんですが、聡明な皆さまにはわかるでしょう、カルデラと気がついたときにダラダラとした下山途中(しかもすぐにトイレに行きたい)にゴール地が見えたときのような安心感が芽生えたことを。
これは自然現象なのだ。山で見てきたことのある数々の奇岩や噴火口と同じ。そして地球は生きて今もなお活発な活動を繰り返し、気象庁は噴火警戒レベルを発信する。
私の肘は噴火警戒レベルの発動なし、ただヒグマをも倒す有毒温泉が湧き出るだけである。
注釈
キズドライスプレーは擦り傷の強い味方となるでしょう。ちょっとした福音。
膝の擦りむき、鉛筆を指に刺す、剃刀を握りしめる、ブランコから落ちて頭部から派手な出血、ストーブで火傷。よくある子供の負傷と思っていたことは今では幻なのだろうか。
かさぶたバリバリ健康法という作品が椎名誠氏の著作であったような気がしてgoogle先生に訊いてみたら、氏が高血圧対策に『玉ねぎバリバリ健康法』なるものを行った旨の記事に辿り着いた。不健康に勝てるヒトは居ない。
写真1 北海岳から全貌が見えないお鉢平
写真2 有毒温泉を横切る赤石川(飲んじゃダメ)
写真3 猫も暑い
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