今年の沢登りでは、よく揖斐川町の谷に入った。
色んな谷の様子を見ることが出来た。
いくつかの谷では かつて そこで人の営みがあったことを示すモノ、堰堤、林道、橋脚、小屋、小屋跡、水田跡、畦道、ゴミ(ガラス瓶、空き缶、タイヤ、食器、家電、廃車など)があった。
どんな人の営みがあったのか気になったので、以下の旧徳山村に関する本を国立国会図書館関西館に取り寄せて読んだ。全頁をくまなく読んだわけではないが、営みがあった時、なくなった時のことなどが いきいきと描写されてて読み応えがあった。
俺が沢登りを始めた頃は、徳山ダムは まだ湛水されてなかったが、その時は奈良県南部三重県南部での沢登りにかかりきりで徳山村に目を向ける余裕はなかった。湛水前の様子を見ようと思えば見れたのに…と一瞬おもったが、そんなこと考えても意味がない。今できる範囲のことをヤルのみ。
水になった村 https://www.amazon.co.jp/dp/4795847924/ref=cm_sw_r_apan_glt_i_GJ3F6GY4MXXSWKN0DHKV
geo_surveyorといいます。
「徳山村」のタイトルにひかれてお邪魔しています。
それというのも今から十何年前でしょうか、越美山系砂防事務所エリアの崩壊地調査で何度も現地を訪れその地域の様子を目の当たりにしていたからです。
ハードな沢や深層崩壊の斜面、ケモノに怯えながら揖斐川流域、根尾川流域を歩きました。
当時はもちろん徳山ダムの喫水前でしたが、既に堤体は完成しており、湛水域にかかる道路の移設工事も進んでいました。
村の皆さんは既に移転済みでしたが、ついこの前まで使っていたと思われる人家、公民館、学校など仕事の道すがら目に入る度に物悲しくなったことを思い出しました。
コメント有難うございました
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