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ある方の日記を読んだ。テーマは遭難だった。過去に親戚の方が山で行方不明になったままだという話だった。
登山に限らず、山菜の時期・きのこの時期になると、遭難者の報道が連日のようにある。もはや季節の風物ではないかと全く他人事として自分は考えていた。その証拠に、11/4に神室を訪れた際の写真の中で遭難者を茶化すような表現のコメントをしていた。
遭難がテーマの日記を読んでいて、ふっと自分のレコのそのコメントを思い出して恥ずかしく思った。気を悪くされた方も多かったのではないかと。(削除済)
遭難したくて山に入る人はいない。家族に美味しい山の幸を味あわせてあげたいとか、そういった想いの発露を茶化してしまった。
思えば「遭難」に対して自分は認識が甘すぎる。いや認識はしているつもりだった。
月山山頂から姥ヶ岳へ岩場を駆け下りる時
「こんな所で間違って転んだら、間違いなく骨折して自力では降りられない。」
一人で山中を走り回っている時
「10年後も同じスタイルで山をやり続ける事が出来るのか?」
そう認識はしている。だけど、答えを出さない。目をそらすようにしているだけなんだ。
11/16雪の神室を下山してきてバスに乗った。運転手さんは昨日「気をつけて!」と見送ってくれた方、当然山の話になった。
「今朝、この辺の山にきのこ採りに入った人が凍死して発見されたそうだよ。」
遭難について日頃からもっと真剣に考えていれば自分の行動も発言も変わっていくはずだ。
茶化す気で書いたコメントでなくても
ちょっとしたコメントでも
どっちでもとれるような発言をした場合
相手のとり方次第ですね・・・
僕はコメントくれる方メッセージをくれた方は
好意でくれているものと信じています。
言葉の使い方はほんと難しいですね。
yossii様
指摘を受けたわけではないのですが、今回のように感じました。
気づいていないだけで、他にもそういう表現があるかもしれないかと思うと嫌な気分にもなります。
次回からは可能な限り第3者の視点に立って読んでから投稿しようと思います。
そういうとこに自ら気付くってすごいと思いますよ。何事もですけど気付くことって大切ですね。考え方、捕らえ方一つで全然違って伝わりますしね
メッセージの送り手と受け手の捉え方の違いはどうすることも出来ませんが〜「対人関係に誤解はない」言いますから〜受け手の気持ちや印象は無視できませんよね。
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