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2015年06月08日 18:37未分類レビュー(書籍)全体に公開

高熱隧道・黒部

私は富山県の黒部界隈が好きです。
ですが、私が住む九州長崎からは遠いのでそんなに足しげく通うわけにはいきません。
これまで沢登りで4回、歩きで1回、黒部界隈を訪れました。
一番最近は2年前の夏、「室堂〜仙人池〜阿曽原温泉小屋〜水平歩道〜欅平」を歩いた時でした。

その時バスで一緒だった関西からの女性の登山者と室堂で立ち話をしました。
その女性が私の山旅の予定を聞いて、「結構な長旅のようですから、良かったらこの本をお暇な時間に読みませんか?」と差し出されたのが、「高熱隧道」と言う本でした。

その時は「黒部第三ダムの建設の話ですよ。あなたがこれから歩かれる所です。」とだけ聞き、
初日の宿の「雷鳥沢ヒュッテ」でさわりの部分だけ読んだものの、その後は山歩きで疲れてしまい
とても、ノンビリ本でも読もうという余裕はありませんでした。

「高熱隧道」は私のザックの中で長崎までやって来て、そのうちに読もうと思いながら忘れられた存在になっていました。

つい先日、「富山県の黒部で、これまで一般者は入れなかったルートが公開された」と言うニュースを耳にしました。
まさしく、「高熱隧道」の舞台となったトンネルでした。

そのニュースを聞いて、ふとあの本の事を思い出しました。
黒部から戻って荷物を整理した時に、無意識に本棚にキチンと置かれていました。
その時の山旅を物語るように、本は傷んでいました。

懐かしい感情が自分の中に沸いてくるのを感じながら私はページをめくりました。

物語の舞台は、昭和初期。

現在の黒部には黒部第四ダム(黒四ダム)と言う巨大なダムが出来ていますが、
その前に作られた第三ダムの建設の時の話です。
第二次世界大戦に突き進む日本にとって電力エネルギーの確保は最優先政策だったようです。

トンエル工事でぶつかってしまった160℃を越える高熱の岩盤を掘り進む壮絶な現場。
この工事で亡くなった人夫さんの数は実に300人を越えたそうです。

もっとも困難を極めたのが、私が2年前の山旅の折に宿泊した「阿曽原温泉小屋」とその上流に位置する「仙人谷」間の工事だったとか。
想像することもできない「泡雪崩・ホウなだれ」の話は、阿曽原温泉小屋のご主人にその時に聞いていました。
この小説で、亡くなっていった人夫さんたちの最後の様子を読んでいたなら、きっと私はその場所を平常心で歩くことはできなかっただろうと思います。

私の父も、黒部第四ダムの建設の際、坑内大工として働いていたという話を聞いたことがあります。
父は早く亡くなりましたので、詳しいことを聞く機会はないままでした。

時代は違いますが、父が働いていた様子を思いながら255ページの本を一気に読んでしまいました。

もし、もう一度黒部を訪れる機会があったなら、私の目と心には、それまでとはずいぶん違った黒部に映るのかもしれません・・・・
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