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太平洋戦争における日本が劣勢に回ってきた1943年あたりに紫電という局地戦闘機が完成したが…当時の海軍主力戦闘機の零戦よりも劣るため、この紫電を改良した戦闘機が開発された。それが紫電改。紫電より使いやすい戦闘機として1944年あたりに制式採用された。
この動画は…最強と言われた紫電改の無様な姿と言いたくなるが…無様なのは、その当時の我が国である。
・この記録を残した米陸軍航空隊のP51マスタングは、第二次大戦最強のレシプロ戦闘機だった。ナチとの空戦でも活躍した液冷の戦闘機。エンジンがロールス・ロイス・マーリンを採用したので、あらゆる場面において最強を誇った。この撃墜された4機の紫電改が、何機のマスタングと戦ったのか?おそらくマスタングのほうが多数であったろう。
・紫電改を主力装備とした第三四三空海軍航空隊だったが…大戦末期の戦果では、一方的にやられなかったとはいえ…数々の空戦で実力あるパイロットが軒並み戦死。敗戦1ヶ月前で、さらに多くの士官クラスパイロットを喪失したため…以後はパイロットや機体の補充もしていない。
・フィリピン上陸を許した時点で、当時の帝国はまだ占領されていない南方からなんとか原油や資源を、残った輸送船(これ話すと長くなりますが…この当時、輸送船すら枯渇気味)でなんとか本土に運ぼうとした作戦が幾度も行われたが…制空権・制海権も失われた状態で、その作戦も一部の輸送のみしかうまくいかなかった。とにかく、高オクタンの航空燃料すらなく、松ヤニの油を混ぜたものを使ったり…紫電改発動機の誉も、こんな燃料ではマトモに紫電改の性能を発揮すらさせなかった。資材も整備要員も三四三空がいくら恵まれていたとはいえ…劣悪であった。
当時のこんな劣勢の中で、米国と戦った兵士には敬意しかないが…陸海軍の戦争指導者や政治家は、なぜもっと早く降伏しなかったのか…この撃墜記録が残された1945/7/5の1ヶ月後には…広島・長崎に原爆投下。満州にもソ連が侵攻。それでやっと戦いを止めた。
ロマンとか美談だけに囚われてはいけない。今でも過去は経済大国だった我が国というロマンや美談に囚われてはいけない。
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