1982年発行の実業之日本社、ブルーガイドブックに紹介されていた筑波山薬王院ルートを見ると男体山頂の北側辺り、自然研究路との分岐から御幸ヶ原に向かう緩やかな斜面は広々としたカヤトの原が広がっていて薬師ヶ原と呼ばれていたようです。写真の概念図を見ると今の御幸ヶ原辺りのように見えますが、そことは別です。当時から御幸ヶ原は今と同じように観光地化されていたので。
ガイドを見ると、「薬師ヶ原は開けていて休憩に適しており、遥か下に薬王院の甍が見える」と書いてあります。
現在、この辺りは木々に囲まれ展望もなく、カヤトの原が広がっていたとはとても思えないのですが、40年程度でここまで景色が変わってしまうものなのか。
いつも歩いている山々の景色も、今後数十年後には全く違う景色になっているかもしれませんね。
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