![]() |
![]() |
![]() |
彼は産道で詰まり仮死状態で生まれ、脳性麻痺による四肢麻痺で、日常的に介助を必要とする重度の障害を抱えていました。身体の硬直を和らげる薬を服用していたため頻繁に痰の吸引が必要で、在宅時は妻と交代でベッドのそばにパソコンを置き、仕事をしながら介助を続けました。10歳の頃には経口での食事が難しくなり、胃瘻(いろう)という方法で栄養補給を行う生活になりました(胃瘻とは、経口で食事が摂れない患者のために、お腹に小さな穴を開け、胃に直接栄養を送る管を挿入する方法です)。
生活は、約3分の1が在宅、3分の1がショートステイ、残りがデイサービスというローテーションで支えました。在宅の日は、ベッドから座位保持椅子への移乗や、家からデイサービスに行く車まで抱きかかえて運ぶなどの身体介助が日常でした。ショートステイの時だけは妻公認で登山に行くことができ、息子在宅の日でも土日のどちらか、山へ向かうことがありました。
そして2025年6月12日、息子は永眠しました。
私自身もうつ病の既往があり、3月下旬のある出来事をきっかけに再発しました。
それでも日々は続きます。88歳の母は足腰が弱り、認知も日々進行しています。デイサービスに行かない日は私が朝食と昼食を用意し、在宅ワークをしながら同じ話を何度も聞く時間も大切にしてきました。https://nasuportal.net/contents/33736/
さらに、姉は嫁ぎ先で重度のうつ病を発症し、理解のない環境のもと離婚まで半年以上かかりました。引き取った後もうつ病が再発し入院、加えて乳がんも発症し、1年おきに左右の乳房の手術を受けました。うつ病の影響で朝は弱く、母の朝食の準備は私の担当です。
このように、私は家族3人(息子〔故人〕・母・姉)のケアを家庭内で分担しながら担ってきました。
そんな暮らしの中で、登山は私が心を保ち、健康を維持するための大切な時間でした。山に登るときだけ、介護という重責からふっと解き放たれ、自然の中で深く息を吸える。頂上からの景色は、明日へ進む力を私に返してくれました。
これからも、私は山を愛し続けます。身心の健康を保ち、息子の分まで長生きするつもりです。
ーーーー
※ 那須の岩太郎 現在67歳です。(笑)
※2枚目3枚目は、ネット上の画像を加工して使わせて頂いています。
#初盆 #介護と山 #登山の力 #心の支え #介護者の登山 #山と私の物語 #36年の介護 #大切な時間 #ショートステイの日に #山がくれた力