登山口は日本三大鉱山の一つ別子銅山の最後の坑道跡がある筏津(いかだづ)でした。東赤石山の西側山中には、今は廃墟となってしまった別子銅山の遺跡があり、とても興味深かったので、その歴史についても調べて動画にまとめてみました。
まず、別子銅山は世界最古の歴史を持つ住友財閥の母体事業となるもので、元禄4年(1691)から採鉱が始まり昭和48年(1973)まで283年間続きました。銅を求めて約700kmの坑道が掘られ、一番高いのは最初に銅山の露頭というものが発見された海抜1200mくらいの銅山峰山頂近くで、銅を求めてどんどん掘り下げられ、海面下約1000mまで到達したと言われています。最深部では気温が50℃、湿度95%、岩盤破裂や崩落の危険性と隣り合わせの厳しい作業環境だったようです。
採鉱が始まってまもなく日本の産銅量が世界一となり、その四分の一を別子銅山が占め、日本初の山岳鉄道が開通したり、東洋一の大型水力発電所が作られたりと日本の産業発展に大きく貢献した事業でした。煙害なども大きな問題となりましたが、新しい技術を用いて克服するなどしました。この事業を母体として数々の事業や企業が生まれ今なお活躍する企業もいくつもあります。とても調べがいのあるテーマでした。
登山の方はというと、天気がイマイチでしたが、花の百名山に選ばれている通り、アケボノツツジやヤマシャクヤクなどの花がとても綺麗でした。滝も間近に見れて迫力ありました。なかなか勾配がきつく、7連チャン2日目の登山としては体も慣れず厳しものがありました。
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