![]() |
これも、私が小さい頃の話です。良く、「一円玉をバカ(笑う)にする人は、一円玉に泣く」と言っていました。電車やバスに乗る時、一円でも不足したら、乗れないんだぞと良く言われました。一万円も、一円が積み重ねて、一万円になるとも。
今の時代、道端に一円が落ちていても拾う人は、少ないでしょう。私は、確実に拾いますが。それから、「お前も働いてお金を稼ぐようになったら、汗水流して働くんやぞ」と言われました。「楽して、お金を稼ごうなんて、思うなよ」とも。
楽して、稼いだお金は、身につかず直ぐに使ってしまうからなと。
今のIT社会、自宅に居ながらパソコン1つで、大儲けも大損する時代ですが。懐かしい、良き昭和の時代だったんですかね。
しかし、親父は皆の為には、惜しまずお金を使っていました。造園業を営んでいましたので、地元の神社の石積みや墓地の生け垣は進んでボランティアで作業していました。皆が参る所やで、綺麗にしとかなアカンでなと、言っていました。私には、中々出来る事では有りません。
何か、いつもの親父自慢になってしまいました。あしからず。
komarikuさん、こんにちは
おしまい・・なんて仰らずに
思い出したときに、また聞かせてくださいませ(^^)
こころがほっこりしますし、
忘れていたものを思い出させてくれます
10ko3さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
そんな事、言われると本気でまた掲載してしまいそうです。
私は、昨日の事は忘れているのに、幼い時の事は、鮮明に記憶しているんですね。自分でも、不思議です。多分、貧しくても、両親から愛情タップリに育てて貰い、毎日精一杯生きていた証拠だと思います。
また、思い付いたら、書き込みます。
komarikuさん、こんにちは!
一円玉の話はうちも小さい頃に聞かされました。今の現実の生活で守れているかというと、「いーや、買っちゃえー」もよくありまして…💦💦
ところで山歩きの時はザックにゴミポケットを付けておいて気が付いたら負担にならない範囲でゴミ拾いしているのですが、その副作用(?)でお金もタマに拾うようになりました。まぁ年4〜5回、1円玉〜100円玉ぐらいですが💦 例え1円玉でも、お金は天下の廻りモノ。そこから外れてしまっては可哀想なので、拾って近くの神社のお賽銭にしたりしています(^_^)ゞ
※いや本当は厳密には交番に届けるべきなんでしょうけど💦
お父様の話は、きっとノブレス・オブリージュという考え方を失ってしまっている今の富裕層に、爪の垢でもと思ってしまいますね。゚(゚´Д`゚)゚。
toshimizu7566さん、こんばんは。
やっぱり、昔の人は「一円」や「御飯」の一粒でも、大事にしなさいと良く言いましたよね。
今の時代は、生まれた時から、何でも有りますから何事に付けても「当たり前」と思ってしまうんでしょうね。
本当は、今の生活が当たり前じゃないんですけど。気付いていないだけと、思います。コメント、ありがとうございました。
komarikuさん、こんにちわ。
一円玉の話は私も子供の頃、
親からよく言い聞かされてきました。
今にして思うと、一円がどうこうというより、
物事の細やかなところにまで気を配り
おざなりにしない。という教訓だったんだなと思います。
とはいえ、額に汗して稼いだ金も
右から左へ。あっという間になくなるのは。。。ハテ
k-yamaneさん、こんばんは。
やはり、同じくでしたか。良く、お金の事を「お足」「お銭」と、言いますよね。いつも、知らぬまに何処かえ羽根が生えたように、飛んでいってしまいます。
やはり、諭吉さんは、お仲間が沢山居る所が好きナンかな?
コメント、ありがとうございました。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する