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なんて、歌が有りますね。私の子供の頃の遊びに付いて書いてみます。
やはり、「凧揚げ」をしていましたね。貰ったお年玉で、隣の町まで凧を買いに行きました。私の住む地域では、小さな雑貨屋さんしか有りませんでした。(勿論、玩具屋さんも無かったんです。)
自宅へ戻ると凧のしっぽを付け、凧糸を「星一徹」から貰い近くの田んぼへ行きました。冬の北風は、凧揚げには最高の風なんですね。私の買う凧は、「奴凧」でした。(これが一番良く揚がりましたから。)
糸が切れて、隣の地区まで凧を探しに行く事も有りました。(代わりに次の凧を買う事は、出来ませんでしたから。)
凧が破れたりしたら、直ぐに「星一徹」に修理(張り替え)を頼んでいました。時には、凧の骨が折れてダメになる事も有りました。そんな時は、「星一徹」自ら竹を切って来て竹ひごを作り凧を自作してくれました。また、その凧が買った物より良く揚がるんです。糸の長さは、最高で500m位は有りました。肉眼では、凧が見えませんでしたから。(玩具なんかは買って貰った記憶は有りません、全て自分で作ったり「星一徹」に作って貰いました。)竹馬や竹鉄砲、水鉄砲なんかも。
我が家には、遊び道具を作る工具も沢山有りました。鎌や鉈やノコギリ、ヤスリ、ハンマー、かんな等。(仕事柄)
それは、私が使用しても別に怒る事は有りません。指を切って怪我をしても、「赤チン」を塗っておけば直るわ〜!でしたから。実際に、鉛筆を削るのも鎌で削っていました。(我が家には、鉛筆削りが有りませんでしたから。)
今の時代は、カッターナイフ等は危険だから使わせないと言う考え方だと思います。しかし、「星一徹」の考え方は違いました。怪我をしたら、次からは同じ事をしなくなる、人間は痛い目をしたら、気を付けて使用するからと言ってましたから。
後、「独楽」回しも良くやりました。鋳物製の独楽を4〜5個持っていました。長時間回す事や相手の独楽を倒す事より、どれだけ小さな器に乗せるかの競争でした。最初は、茶筒の蓋からはじめて、メンソレータムの蓋に乗せて行きます。名人クラスになると、絵の具の小さな蓋(キャップ)にも乗せる事が出来るんです。(私は、流石に無理でしたが。)
私は、そんな遊びをしていた事を思い出します。当時は、勿論TVゲームなんか有りませんから寒くても、外遊びをしていました。
雪が積もると、リンゴの木箱を貰って来て竹を半分に割り、先を火で炙り曲げて箱の下に二枚打ち付け即席のソリを作成していました。山の中に入り、坂で滑って遊んでいました。手袋もしていませんから、手の指がシモヤケになっていましたね。
今思うと、お金が無くて玩具が買えなくも、色々考えて遊び道具は作れるんだと思います。当時は、それで十分に満足していましたから。
そんな、昔のお正月の遊びの話でした。
komarikuさん、こんばんは初めましてヽ(^。^)ノ
素敵な想い出に共感してしまいました( ´∀`)
星一徹さんの様な方は今の時代中々いないですよね…。
痛い思いする前に親が過保護に止めてしまう現代です。
私は子供に色々な経験をしてもらいたいと思っています。年末の今頃としては、餅つきもするご家庭が少なくなりましたよね。
幸いにも、私は毎年知り合いの神社で餅つきを手伝わせて頂き、子供も参加させてもらってます。なかなか体験出来ないですよね。
子供の頃に体験した経験は大人になっても絶対心に残ると信じています。
だから私も出来るだけ子供には色々な経験をして欲しいと思っています。
あっ、凧も毎年作ってますよ!これがまた難しくて、竹の反り具合だったり糸の張り方で飛び方が変わってくる!
でも、クルクル回って飛ばなかったとしても、それはそれで子供にとっていい想い出になると思っています(*˘︶˘*)
昔のお正月の遊びを拝見してほっこりさせて頂きました(*˘︶˘*)
saku1214さん、こんばんは🎅
コメント、ありがとうごさいます。
同じ様な経験をされた方が居て、私も嬉しく思います。
年末の餅つきも両親が健在の時、必ず兄弟、孫達が全員集合してワイワイガヤガヤやっていました。一徹は、孫達に鏡餅を作らせてくれましたから。形は、不恰好でも「上手に、出来たなぁ〜!」て、誉めていましたから。
子供の頃の思い出は、大人になっても覚えているのではないでしょうか?
私は、今思えば沢山の経験をさせて貰ったと感謝しています。
saku1214さんにとって、来年も元気に山歩きが出来ます様に、善き年になる事をお祈り致します。
では、「良い、お年を〜!」
まだ、少し早いかな〜!
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