長い入院生活から戻ってきた。私は精神疾患で閉鎖病棟に長いこと入院していた。しかし、身体は重いまま。どうしようもない思いを発散すべく、この場を借りて綴ろうと思う。
1年もしないうちに3回も入院してしまった。1回目と2回目は数週間で退院させてもらえたが、3回目となる今回は主治医の指示で長いこと入院しなくてはならなくなった。起きられない、食べられない、典型的なうつ症状が出て、日常生活がままならなくなったからだ。
入院中は何も考えずただただ時間が過ぎるのを待つ日々が続いた。こうしているうちに、気力がどんどん奪われていった。私はまだ学生をやっているが、勉強ができなくなった。活字が頭に入らないのだ。薬のせいなのか、病気のせいなのか。また、大好きであった山に行く気力がなくなった。山に対する情熱や欲が消えていくのを感じた。
入院生活後半に入ると、同じ病棟の若い患者と話す機会が増えた。精神科の病棟は複雑な思いを抱えている人がたくさんいる。背景は違えど、同じ苦しみをもつ同世代の仲間の存在は唯一の生きるモチベーションだった。
やっと迎えた退院の日。叔母に連れられて病院の外に出た。しかし、その瞬間から何をしていいのかわからなくなった。病院の外の生活をすっかり忘れてしまったのだ。病院という船からいきなり大海にボートで放り出されたような感覚、といえば分かってもらえるだろうか。宙ぶらりんな気持ちで毎日を過ごしている。突然いきなり元の一人暮らしなどできるはずがなく、叔母の家で過ごしたり実家に戻ったりしている。
そんな中でも、今日は重い身体を奮い立たせて丹沢の沢に行ってみた。久々に自然の中に入る感覚はよかったものの、やはり気力が持たない。途中で左岸の支流からドロップアウトしてしまった。帰ってきても充実感は微妙なところ。やはり身体は病棟の調子を引きずっていたのだった。
退院してある映画を観た。「閉鎖病棟~それぞれの朝~」という映画だ。そこに、「ここにいると、みんな患者という生き物になってしまう」というセリフがあり
、妙に納得してしまった。長い入院生活を経て、社会での過ごし方を忘れてしまった。情けないことに1人で家で過ごせない。夢も希望もなく、ただ空虚な毎日を過ごす。家族や親族からは「まずはゆっくりしなさい。将来のことはなんとでもなるから」と慰めてもらえるものの、将来どうすればいいのだろうか。この疾患を抱えながら生きていけるのだろうか、という不安だけはつきまとう。気力もなく、退院後の療養生活は毎日が家で寝てるばかりだ。これが病人という生き物なのだろう。長期にわたる閉鎖病棟での入院が、私を病人という生き物に変えてしまったのだ。かつてのように後輩たちを引き連れて沢やアルパインやゲレンデクライミングに出かける私の姿は完全に失われてしまった。
人生山あり谷ありとは言うが、この谷底から抜けるにはどうすれば良いのだろうか。その答えはまだわからない。しかし、同じ病棟に入院して仲良くなった大学生や高校生たちは私よりももっと壮絶な背景を抱えている人も多かった。そんな仲間と出会い、彼ら彼女らと共に病気と向き合い生きていく日々を過ごしたことは唯一の救いであるように思う。みんなが病気と共に生きていくなら、私もそうしよう。
沢登りも良いが、何があっても毎日、実施するルーチンを設定したらどうですか。時間があるようなので、毎日2万歩歩くのはどうですか?
雨が降ろうが、体調が今一でも、朝飯を食べられるならば、毎日、実施してみてはどうですか。そして、毎日、記録を残すことです。何かが変わると思います。
私は15年、平均3万歩を継続しています。単純なルーチンを良いと思います。
アドバイスありがとうございます
何かを変えたいです
アドバイスをら元に、いろいろと考えてみようと思います
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