日記でボッカのことを書いたら、思いがけず、いっぱい拍手をいただいたので調子にのってまた高校時代のバカ話を書きたいと思います。
なにぶん文章を書くことになれてないため誤字脱字はスルーしていただければ幸いです。
野球部、サッカー部、バレー部と運動部はたいてい対戦があって、試合や大会があるのは当然だが、山岳部にはないだろうと普通は考える。
だいたい山を安全に登るのが「山岳部」であるため「競技」「試合」っていうのは無縁で勝敗をつけるのは難儀である。
しかし、25年前(調べたら2002年に廃止)に山岳部で大会というか試合というものがあった。
どんな内容かいえば、今でいうクライミングの競技ではなく、4人1チームで山に泊まって縦走して成績を決めるものである。
どうやって?
1日目は覚えている限りは
テントを張るスピードや張り方や読図(地図)、天気図の書き方などがある。
確か10種類ぐらいの試験があったような記憶がある。
2日目は15kgのザックを背負って山を縦走ということになる。
タイムが早いほど得点が高くなるという。
今でこそ、トレイルランという言葉があるが、四半世紀前にはそんなおしゃれな言葉はない。
当然当時、登山道を走る文化などは存在してなかった。
1日目は文科系というか、勉強系のスキルを必要とする。
地図の読図は最近はGPSなるものがあるが、21世紀になってもとても必要度が高いもので、高度や記号を答えるものなのだが、その係にはなったことがないのだが、うちの高校のパートナーは自信満々に
「周囲の他の奴らの答えをみたから大丈夫!」
などとカンニングをしてきたことを自慢してきたような感じだった。
私の担当はなんと、「天気図」
天気図というのは山の中でNHKのラジオ放送を聞いて、天気図を作成するものなのだが、これがものすごく難しい。
現在の新聞の天気図でも雨のマーク●や快晴○のマークを見たことがある人もいますが、これを読むのではなく、作成するのが試験なのである。
晴れマークに枝をつけたり他の地方の風向きをいったりするのを聞いて鉛筆で書いていくのだ。
これに加え、
「東経134度○○分」??点線をつなぎ、
重要な等圧線も書いていく。
まるで英語のリスニング試験さながらといった感じなのだが、さすがにこれはカンニングしても周りもパッパラパーなのでとても参考にならなかった。
テントを張るのもスピードとしっかりパシッと張れるか?はとても比例せず、どの高校もどたばたの状態になる。
そうこうしているうちに初日は終了。
2日目の本番(縦走)になる。
本番というのはやはり山を登るスピードが点数の大部分を占めている。
うちの高校がすごかったのは、大会前何回もその山に高校生だけで行って下見をするとこなのだ。
土曜日授業が終わると、すぐ着替えて山に向かい、土曜日泊まって早朝日曜日に大会のコースを縦走する。
土曜日夕方キャンプ場でテントを張り、やることはなくなる。
そうなると高校生なのに・・・・。(時効なのですいません)
缶ビールだの焼酎など持ってくる輩がいて、「仕方がなく」付き合う。
(よい子はまねしてはいけません)
そしてませたやつの「エロ話」を聞く。
別の意味でテントを張っているというやつがいて・・・。
(失礼)
そうこうしているうちにあっという間に眠くなって・・・。
翌朝コースの下見ということになった。
今でこそトレイルラン用のかるーいシューズは存在するが、
アナログな1980年代はみんな片足1kg以上もある登山靴をはく。
そんなのでスピードがでるのか?
といえば、ノーなのだが15kgのザックも重い登山靴も一緒。
(頭のいい別の学校は紺緑色のキャラバンシューズを履いてくるやつらもいた。)
そして2日目の本番の火ぶたがきって落とされた。
ユニホームはヘンテコな赤のカッターシャツにニッカボッカ。重い茶光したサングツ。
ませた高校生にはつらいコスチュームだ。
縦走スタートは全校同時ではなく、ゴルフのスタートのように5分毎に3校とか時間差になる。
当然我々の高校は、下見を10数回おこなった高校もないので妙に早く行ける。ペース配分も完璧だ。がんがん抜いていく。
コースは億玉(仮名)にある、王竹山(仮名)1263mだ。
首都圏からは親指のような形をしているという山である。
見竹山から王竹山、トンカチ尾根を下って火川のキャンプ場にいく。
(すべて仮名)
私はこの山に40回ぐらい登っている。
ただし見竹山(仮名)のケーブルは使ったことがない。
なぜかヘッドランプで夜も登っているので当時はどこにどんな坂あってとか全部熟知していた。
じゃなければ、25年たった今でも
赤梅線(仮名)の「軍畑駅」を「いくさばた」とさらっと読めないはずだ。
結果・・・。
2日目は1位になった・・・。
やった!
ただし、大会には優勝できず3位終わった。
なぜか??
1日目の成績が酷すぎたからだ。
それでもなぜか意味なく誇りに思っている。
こいつらバカ高校だけど、体力はみたいな・・・・感じかもしれない。
所詮、山で必要なの体力?
いやいやもう少し頭がまともなら・・・。
私も高校の時山岳部でしたが、同じような大会ありました。40年前! 大阪府です。
1978年の長野やまびこ国体でも山岳競技がありました。
まだほんとの競技ではなくて、
仮(?)だったと聞きました。
戸隠山周辺の縦走だったと思います。
tonakaiさん今でもあるか解りませんが国体には山岳の部門がありましたよ、参加してないので内容は解りませんが、
今では正確には地図や呼んだり天気図を書く事は出来ませんが、天気図は書けば書き方を思い出すでしょう、
私達の山岳会は当時は天気図は必修でしたよ、
録音したのを聞いて初めは書き方の順序を覚えると家で夜の10時の放送を聞いて何回か書いていると、
地名の場所や緯度なども自然と解ってきます、合宿やテント泊まりの時は必ず書いていましたよ、
今みたいに携帯やGPS機能などはありませんからね、
>ただし見竹山(仮名)のケーブルは使ったことがない 当然です私も見竹駅から見竹山から王竹山迄は歩いて登っていましたよ、
見竹山の登りは車が通れる位の良い道でしたよ、
今では時効ですが同じく、お酒も年齢に関係なく飲んでいましたよ、それも安ウイスキーでストレートでしたよ、
お酒で話は変わりますが、仕事で福島に行っていた時に夜泊まる事があった時に夜の8時ごろにその家の息子(当時高校生)に
友達が一升瓶を持って来たので私がいると帰ろうとしたら息子は酒は置いていけと言いその晩はその酒で一杯皆で呑みましたよ、
当時は高校生でもお酒を飲むのは常識でしたよ、只今と違うのは飲んで大部分は迷惑などかける事はなかったです、
なつかしいです。私の高校時代も同じ競技内容でした。
今からだと…17,8年前になりますか。
微妙に違うところは1パーティ3人で、特区間(競争)は3人合計で40kgの荷物というルールだったり…。
今思うと超ゴツい重登山靴でガボンガボンいいながらトレランしてたのが信じられませんね
今年の夏も青森でやってましたよ、インターハイ!
高校生チームがわんさかと登ってました
連綿と受け継がれているんですね
Mikuniさま。
コメントありがとうございます。
40年前ということは・・・。
大先輩ですね。
大阪府ですか!天保山しか知らないっす・・・。
都道府県単位だと、山が少ない県とかもあるのでどうなるんだろうって疑問に思ったことがあります。
sakusakuさま。
ありがとうございます。
長野でしたら、一番本格的な競技ができそうですね。
33年前ですか。
これまた大先輩ですね!
naiden46さん。
今回もありがとうございます。
競技残っているようですね。
天気図・・・。
これがラジオ放送のスピードについていけなくて・・。
とてもリスニングできません。
そんないい加減な天気図では命にかかわるのですがね。
お酒!
先輩にそういっていただけるなら助かります。
私のお酒は山で覚えたようです。
ukiponさん。
ありがとうございます。
同じような経験をされているのはうれしいです。
3人で40kgですか!
合計なので人によって重量配分を変えられるのはオツですね!
>今思うと超ゴツい重登山靴でガボンガボンいいながら>トレラン
いやー、同じような感想を思い出していただけるとは光栄です!!
komadoriさん。
ありがとうございます。
高校生がわんさか!ですか?
今はクラブ活動ばなれがあるといわれているので、
「わんさか」っていうのは意外だしうれしいですね。
またヘンテコな体験を思い出したら書きたいと思います。
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