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都市部のお仕事の方は交通状況、大変かとは思いますが、足元お気をつけくださいね。
さて昭和38年の名作、氷壁です。
もう読まれた方も沢山いらっしゃるかと思いますが、せっかく読んだので感想を書いてみました。
氷壁を手に取ったのは年が明けてから、
活字離れしている私にはちょっと厚いかなと思っていましたが、中盤になるにつれすらすらと読み込んでいきました。
物語の始まりが年末年始だったので、ちょうどいいタイミングで読み始めたなと嬉しく感じる。
主人公の魚津は33(確か…)、舞台は少し前の日本で、時代を感じさせるがまたそれもいい。
ナイロンザイル事件もなんとなく知っていたので、氷壁ではどのように取り扱われるのかが興味深かった。
当時、新聞にて連載していたためか、ザイルについては大きく結果が出ないまま完結となる。
魚津は親友の小坂が滑落したことについて、世間では様々な疑念がある中、パートナーを信じ、登山家が山で自ら死することはないと、また自分たちの技術においても落ち度がないことを、揺るぎなく語る。
その姿勢は芯が貫き通され、上司にいかに饒舌に論されようとも更に確固たる信念として、魚津の中の小坂という男に対する信頼と真摯な構えは読んでいて気持ちのいいものであった。
その他の登場人物も悪はなく、人間味溢れて魅力的。
ではあるが、ヒロインとして登場する美那子は美しいだけであって、果たしてこの勇敢で清涼感のある青年2人がこぞって山へ連れて行きたいと思う程の内面的な魅力がわからないまま、はぁ、確かにそのように美しければ手に入れたくなるものだろう…という感覚のみで、この若さに飢えた人妻は始終ふわふわと恋に恋したような描かれ方。
山岳小説よりも恋愛に寄った小説として、この辺りは少し解せずに不満が残る。
とはいえ半分を過ぎた辺りで、勢いを増して盛り上がり、休日を利用し、一気に読んだのですが…
なんというか、はぁ、ラストは悲しい結末に。
※ここからはネタバレとなりますのでご注意ください☆
結局のところ美那子の心の揺らめきは繊細に描かれるが、彼女自身は何も行動しないまま、小坂も魚津の事も新聞をめくるように淡々と日常の中に消えていくのみ。
それはそれとして酷い扱いなのが小坂の妹。
彼女が可哀想すぎてこの本は少し嫌いになりました笑。
純真で無垢、悲しみを武器とせず、真正面から魚津に向き合っているのに当の本人は婚約の約束をしてからも、山を歩き出そうとも気持ちがふらふら。
兄を亡くしてそれを支えてくれたのに、その時の頼もしくひたむきな魚津は何処へ行ってしまったのか。
最後には魚津がまだ自分の方へ向かって来ているように感じる…と、彼女は半ば筆者に都合よく納得させられ、また山に来なければならないと胸に秘めるが、大切な人を2人も亡くした山にまた来るのか?来れるのか?来れたとして彼女にとっての山がそんな悲しい舞台にされてしまったことを無念と感じる。
魚津はもうなんやねんと。
登りきったら気持ちが決まると足を止めない。引き返せば美那子に戻ってしまう気がすると、結局そこでガスに覆われて落石の危険がある中を進んでしまう。
登山家は絶対に冒険はしないと言っていたじゃないか。自然との戦いだと、危険があれば山頂が見えていてもそれ以上登らないと。
その中を進むことがこの物語の核心だと思うが、その歩を進める動機の大小が小坂の妹よりも美那子にある事が悲しい。
妹への気持ちがあれば分かりきって冒険をする必要もなくなるのであろうが、自分を生かすか殺すかのその命運を山に託すのはどうなのか。自分で決めてよ…決めてからこの可憐な女の子を迎えに来いよ…きっと決まるから慣れない山奥で待っててなんてなんて都合のいい男なんだ…
最期には下界の喧騒も都会や人間の暗雲も引き離れた、静寂の中に身を投じた。
彼らしいと言えばそうなのであろうが、
なぜ殺さなければならなかったのか、死ななければ美しい物語に成り得なかったのか、
この物語の登場人物1人にでも幸せを願って読んでいた私には残酷なお話でした。
というか物語において作者がすぐ殺すものは安直なのを含めあまり好きでない。
とはいえ、流石の小説家で
山からの空気をまとった主人公が東京の駅のホームに降り立つ時の「今日はいつもより少し山でかけられた呪文が強いのだ。」
といった言葉や、
魚津が選んだ9本のモミの木で小坂を荼毘にふすまでの描写は美しく、感動的でした。
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