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【写真】天武天皇陵(持統天皇と合葬)
皇后は即位の式もあげられぬまま、政務を執られた。
大津皇子の変
冬十月二日、皇子大津の謀叛が発覚して、皇子を逮捕し、合わせて皇子大津に欺かれた・・・三十余人を捕らえた。
三日、皇子大津に訳語田(おさだ)の舎で死を賜った。
時に年二十四。妃の山辺皇女は髪を乱し、はだしで走り出て殉死した。
皇子大津は天武天皇の第三子で威儀備わり、言語明朗で天智天皇に愛されておられた。成長されるに及び有能で才学に富み、特に文筆をあいされた。この頃の詩賦の興隆は皇子大津に始まったといえる。
・・・・・・・
十一月十六日、伊勢神宮の斎宮であった皇女大来は、同母弟大津の罪により、任を解かれ京師に帰った。
(巻第30持統天皇より)
大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首
〈百(もも)伝う 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨の 今日のみ見てや 雲隠りなむ〉
大津皇子(万葉集416)
(謀叛びと、同じ天武の皇子なれば、「優れた人」と[書紀]の記録に)👅
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