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読み始めた『平治物語』の始めに2人の人物[藤原信頼]と[信西]という名前が出てきました。
平治物語では[信頼]を否定的に、[信西]を肯定的に書いていると(解説)にありました。
そもそもどういう人なのかがピントこなくて、ヒントをさがしていたんです。
[信頼]
中の関白道隆の八代目の後胤
(道隆は父兼家と弟道兼の間の関白で中関白といった/平治物語の解説より)
後白河院の寵愛があって、破格の昇進があったのだろうとも。
[信西]
鳥羽天皇の皇后[待賢門院璋子]に出仕、後鳥羽天皇の乳母[紀井三位藤原朝子]を後妻にし、乳父として後見役となり後日後白河天皇即位を画策、保元の乱に勝利すると政治の実権を掌中に。
信頼は信西を除くために源義朝に近づき、命令を受けた[義朝]は、[平清盛]が熊野詣で都を留守にした隙をつき、三条殿に火をかけて後白河院を連れ去ります。
ついで、信西入道の屋敷にも火をかけ、都を落ちた信西入道、奈良へ向かう途中の小幡山で討たれてしまいます。
早馬で知らせを受けた清盛、都に引き返します。
『保元・平治物語絵巻』は江戸時代前期(1661〜1673)の作成だろうと推測されるそうです。
なので、平安時代とのズレの描写もあるようです。
🐴絵を見ると、馬がたくさん書かれています。
武器は弓と長刀(なぎなた)が主流で、鎧カブトに弓を持ち、背中には矢をさしています。
🏹〔平安時代の武士は「弓矢取り」と呼ばれる。弓矢の腕が重要視された。
刀を重視するのは近世の武士である。〕
馬に乗らない者は長刀を持っています。
〔(長刀は)平安時代には一般的な武器であったが、戦国時代には衰退した。女性の武器となるのは近世以降である。〕
〔〕内は(絵の説明文より)
(外見れば青空らしい休日もゆっくり起きてうだうだとして)居彷人
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