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式子内親王(1149?〜1201)
藤原定家(1162〜1241)
百人一首の中のそれぞれの歌です。
[ビギナーズ・クラシックス 百人一首]より
式子内親王(後白河天皇の皇女)
89〈玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする〉
「私のいのちよ、死ぬなら死んでしまえ」、生き長らえていたら恋人が知られてしまう
という歌だそうです。
「忍ぶ恋」という題で詠まれた恋歌とか。
もう一首、参考の歌がのせてありました。
〈君ゆゑと いふ名はたてじ 消えはてむ 夜半の煙の すえまでもみよ〉
あなたゆえなんて噂は立てません。私の火葬の煙だってあなたの方になびいたりはしません。
藤原定家(権中納言)
97〈来ぬ人を まつ帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ〉
「来ぬ人を待つ」
[まつ帆の浦]は地名
夕凪の頃は恋人が会う時刻
焼いて作る藻塩の焦がすじゃないが「やけて身を焦がす」
「健保四年(1216年)内裏歌合」の恋歌です。
ちなみにこの歌は万葉集935[笠朝臣金村]の長歌+短歌の、娘に恋い焦がれた男の歌
(万葉集の歌は聖武天皇の神亀三年(726)10月、天皇行幸に際し、旅の安全を祈願して土地の事を詠んだ歌ではあります。)
を土台に、定家は、焦がれた娘になった立場で読んだ歌だそうです。
[♪蛍の光]の
「いつしかとしも すぎのとを あけてぞけさは」
の
「いつしか年も過ぎ」(杉の戸を開けて)「明けてぞ今朝は〜」
みたいです。
(源平のいくさの話続きます。そんな時代も歌会は恋)居彷人
【写真】テイカカズラ(昨年5月9日)
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