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武烈天皇陵の決定は難航し、明治22年6月になってやっと決定したが、古墳ではなく、「埋葬施設を有しない自然丘」という批判(検証天皇陵 外池昇)もある。(写真1、2枚目)
大和高田市にある「築山古墳」、広陵町大塚にある「新山古墳」も宮内庁が武烈天皇陵の陵墓参考地して管理している。宮内庁の天皇陵治定と言っても、それほど信用性がないのかと素人でも心配になる。
平成天皇から令和天皇への代替わりを機会に幕末から明治時代にかけての実にあやふやな天皇陵治定ではなく、現在の考古学、歴史学を総動員して「天皇陵」なる古墳を根本的に見直してはどうかと思った。
23代の顕宗天皇陵も次に巡った。(写真3枚目)
父親が21代雄略天皇に殺されたので、播磨に「逃げていたのか」22代清寧天皇に皇嗣に迎えられ、天皇になった。この時に親のかたきとしてか雄略天皇の墓を壊そうとしたが兄に止められ断念したという。実に
人間らしいというか、読んでいて面白い。この天皇陵も明治22年6月になってやっと決定。先ほどの大和高田市にある「築山古墳」も参考地らしい。この治定も見直した方が良いではないかと思った。
最後は香芝市の二上山博物館に行った
二上山の古墳の石室などに利用されている凝灰岩の成り立ちや古墳時代にこれらの凝灰岩が使われたかを懇切丁寧に説明してくれている
一度は訪れたい博物館である
http://www.city.kashiba.lg.jp/kanko/0000003666.html
(10月13日、GPSが地図上を上手く作動せず、途中から歩いた道、撮影した写真がヤマレコにアップできず。時間は3時間あまりで歩いた距離は約6キロから7キロ前後)
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