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2016年04月06日 21:36未分類全体に公開

右膝腸脛靭帯炎(4/3ハセツネ30kまでの備忘録)

昨年11月のハーフ後、しばらくサボって12月下旬からトレ開始。

1/13(水)丹沢へトレ。渋沢駅から林道経由で仮想盆堀林道のラン。稜線に出て降りに入ったところで初めての右膝腸脛靭帯炎。強烈な痛み。しばらくRICE処置。

1/20(水)直前の降雪に山行を我慢出来ず、丹沢へ。恐る恐る。右膝に痛みは出ず。以降1月は走らず。

2/1(月)10:00、仕事中にクリック合戦でエントリー。2月からラントレ開始するも5km位で違和感が出て、痛みに変わる日々が続く。
常時サポーターで固めると2週間程で、10kmまでは痛み出ず。それ以上は無理。

2/17(水)丹沢へ。積雪ありでゆっくり歩き。膝は問題なし。

2月下旬、サポーターは外せない。15kmまでは痛み出ず。それ以上は無理。

3/2(水)丹沢へ。走らない。膝は問題なし。

3月上旬、違和感は続きサポーターは外せないが15km全力で走れる。

3月下旬、サポーターを外す。15km恐くて全力では走れない。

3/16(水)ハセツネ30k試走。盆堀林道を全力で休まず北沢峠まで。市道周辺で違和感出る。醍醐林道はほぼ歩いて陣馬街道へエスケープ。関場BSから帰路。次回はサポーターをつけようと思う。

3/23(水)ハセツネ30k試走。サポーターを忘れる。盆堀林道を全力で休まず北沢峠まで。やはり市道周辺で違和感。それでもこの日は何の根拠もなく大丈夫と判断し全力で走り続ける。盆堀林道に入って急坂を登り、稜線に出たところで2度目の右膝腸脛靭帯炎。激痛。トレイルをこのまま歩く気にはなれず、北沢峠からエスケープして来た道を2時間半、足を引きずりながら武蔵五日市駅まで。2日後まで痛くて歩くことすら辛い。DNSを考える。

3/26(土)痛みが引くが3kmも走れない。3/27(日)違和感あり5kmも走れない。3/31(木)ゆっくり10km走る。2日前の4/1(金)ゆっくりでも10km走れたことで出走を決める。DNFでも構わない。出たい。この夜からボルタレン服用。前日4/2(土)は走らず休息。

4/3(日)ハセツネ30k出走1時間前にボルタレン服用。DNF濃厚なのでリタイア後の収容待ち用のダウンをザックへ入れスタート。号砲後、振り向くと後方は30名程。他のランナーの迷惑にならぬよう最後尾からスタート。右膝はテーピングとサポーターで固めている。
最後尾周辺は自分が想定していたペースより遅かったので、少しづつパスした。パスする際のステップとダッシュは脚への負担が大きいと昨年学習してるので無理はしない。右膝の違和感は常に有り、何度も右太腿と臀部を叩きながら走る。北沢峠は28分渋滞。昨年は10分弱で通過してる。トレイルに入ってもひどい渋滞。昨年はもっと前方だったのでトレイルでの渋滞なんか無かった。やはり走れるならスタートは少しでも前がいい。
盆堀林道に入って急坂を登り、10日前激痛が走った稜線に出た。痛みは無かった。心底安堵した。ここから爆走。終盤、脚が攣りかけたが、ペースを落としリカバリーしながら脚は止めなかった。
10××位。完走出来ればという思いでスタートしたが単純計算で約750人抜き、昨年の悔しさを晴らすこれ以上ない結果。ハセツネCUP優先権のボーダーまであとほんのわずかだった。走れたのは明らかに鎮痛剤の効果が大きい。薬の切れたレース翌日、翌々日は右膝に痛み有り。酷使したから当り前。
最近涙腺が崩壊しかけていて完走証を受け取る時、涙が出そうになった。自分で自分に感動している50過ぎのバカ。
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