美深の宿近くにあった宿営地の表示、音威子府から少し北に行った場所にある北海道という地名の元になった「カイ」(自分たちの国の意)というアイノの言葉を古老から武四郎が教えてもらった場所や、天塩川河口に立つの武四郎の像、稚内声問の宿営地表示など、北海道の人の武四郎に寄せる思いがうかがえた。その後武四郎のことを何冊かの本で勉強し、あの時代にあって、なんと自由で優しい人かと感じていた。
先日新聞に松浦武四郎生誕200年を記念して生地の松阪市で催しが開かれているとのことで、暖かくなったのを機に自転車で出かけてみた。
伊良湖から鳥羽までフェリーで渡り、二見浦の夫婦岩や古い街道筋を通り、斎宮跡の広さに往時を思い、道草・道迷いを繰り返しながら伊勢街道を松阪から生地の三雲町小野江まで。到着は12時半と想定の1時間遅れ。向かい風の影響もあったけど、初めての土地で見るもの面白く、停まっている時間が長かったようだ。
昼飯も食べず腹ペコでたどり着いた松浦武四郎記念館は、建物は立派だけど、300円の入館料の価値は? 展示や蔵書には興味をそそられるものもあったけど15分ほど滞在し退出、近くの武四郎の生家へ。
建物は修復工事が終わったばかりで、伊勢街道沿いの郷士の家の質素さと豊かさは伝わってきた。
武四郎自身は16歳で家を出て諸国を巡り、26歳の時両親の墓参りのため一度家に戻ったきり、その後家に戻ることはなかったそうで、ボランティアの地元のおじさん達もあまり思い入れはなさそう。
どうも松浦武四郎という人は北海道というフィルターを通してみることで魅力が増すようだ。
帰りは寄り道が過ぎて帰りのフェリーに間に合いそうもなくなり、近鉄で輪行して出帆ぎりぎりにフェリーに飛び乗れたけど、お土産の赤福を買う時間も無く、家に帰って嫁さんに怒られた。
kamiishiさん、こんにちは。
松浦武四郎、出身地は出身地でその人生の足跡の殆んどは北海道にあるんですね。私は大台ヶ原を開拓しようとした人として文献を読み漁ってます。今年は北海道にも行く予定なので、北海道を名付けた記念碑にも寄れたらと思っています。
minislopeさんコメントありがとうございます。
松浦武四郎は若いころはあらゆるものに興味を持ち、日本中を旅し、特に霊山と呼ばれる山へ登っていたようで、豊橋市出身の菅江真澄とよく似た行動をとっていたように思えます。
大台ケ原へは晩年になって訪れたそうですが、そのころには失意のため北海道やアイノへの思いは失われていたみたいです。
北海道命名の地は国道から天塩川へ向かって下りていく道の途中にあり、誰一人いない静か(熊が出そうな!)な場所です。ぜひ訪れてください。
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