昭和54年11月、七面山ナナイタガレの最低部へ表参道の登山道上部から下降して立とうと試みました。下降地点に立ってみると、崩壊が始まる縁なので泥壁が雪庇のようにハングしていて、降りたら退路を断たれるようでとても恐ろしくなり、情けなく引き返しました。
晩秋は中途半端な季節なのか、行き交う登山者はなかったのですが、敬慎院から下りの途中で登拝信者らしい老夫婦が休んでいました。挨拶するとお婆さんが『お父さん（お爺さん）が歩けなくなってしまって』とのこと。お爺さんも生気が無く下を向いて黙っています。見過ごすわけにもいかないので、自分のザックを前掛けにし、お爺さんを背負って一緒に降りることにしました。途中にある坊（茶店休憩所）は何れも閉まっていて救助要請できませんでした。私の脚はミシンを踏む状態になり、休み休み少しずつ降りていきました。老人ですが人一人を背負うのは荷物より厄介でとても重労働です。『歩けなくなるような歳で登ってくるなよ』と口には出せないので心で呟きながら、黙って歩を進めました。お婆さんが『息子のような人に背負ってもらうなんて、日蓮上人様のお導きだ』としきりにお爺さんに話し掛けていました。しかし、背中のお爺さんは相変わらず黙ったまま。息子と父親（お爺さん）の間には深い確執があるように思われました。日蓮上人が、お爺さんに『確執を消しなさい』と自覚を促すため、私に背負われるという演出をなさっていると言いたげなお婆さんの言葉でした。私は『冗談じゃないよ』と言いたかったですが、お婆さんの言葉は暗に私へ、『お前は人間関係がなってないぞ、爺さんを背負って和解の修行だ』とのお導きのようにも聞こえてくるから不思議です。
正確な時間は記憶にありませんが、2〜3時間ほどで羽衣の滝に着いたと思います。とても疲れたからか、自力で歩けない非常識な老夫婦に怒っていたのか、今では覚えていませんが、羽衣ノ滝では名前すら名乗らずに別れました。老夫婦から大いに感謝されて当然と思うのですが、感謝されたのかな？と思うくらいのそっけない感謝だったのでしょう。キツネが化かしたような、スゥーと消えたあの老夫婦は何だったのか、救助は何だったのかと考えるのですが、諦めが悪い私がナナイタガレへの下降地点であっさりと引き返したことを考え合わせると、日蓮上人が老夫婦を救助するという菩薩行を私に課したとも思えるのでした。そうであったら、感謝の言葉が無いなどと考えては菩薩行として失敗ですが、日蓮様に一言、『確かに救助しましたからね』と念押ししたい私は、まだまだ凡夫から脱することはできません。
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