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(ウィキペデイアと河津桜まつり公式サイトより)
1955 河津町田中の飯田勝美氏が偶然に発見した桜の苗を自宅の庭に植える
1966 開花し始める。当初、飯田氏の屋号から「小峰桜」と呼ばれていた。現在もこの原木は、飯田氏の庭にあります。 (25日に見た時には、見物客で賑わっていました)
1968〜伊東市の勝俣氏が河津桜の増殖、桜の普及に貢献
1974 学術調査で新しい雑種起源の園芸品種と判明し、「カワヅサクラ」と命名。オオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種と推定される
1975「カワヅサクラ」が、河津町の木に指定
河津町の河津桜まつりは、今年で27回目。ちなみに松田町のまつだ桜まつりは、19回目。
若い時は、植物にあまり興味がなかったこともありますが、河津桜が耳に入ってくるようになったのも、そんなに昔からではなかったような気がしていましたが、調べてみるとやっぱりでした。
河津桜と命名され、各地に普及し始めた頃に小生は社会人となったのですから、まさにカワヅザクラと同じような歳という訳です。
この25日に本家の河津桜を見に行きましたが、見頃は過ぎたものの、まだ十分楽しめました。
この模様は、こちらに。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1073596.html
普段は静かな町に、すごい人出です。地元の人に言わせると、最盛期はこんなもんじゃないとの事。
苗桜を川沿いに植えた頃は、町おこしを考えて植えたのでしょうかね。ただ、町を花でいっぱいにしたいと思っていただけなのかもしれません・・。きっとそうに違いない。町おこしなんて上段に構えるものでなく、自然にじんわりと湧き出てくるものかもしれませんね・・。
でわでわ
はじめまして。
母親の実家が原木のすぐ近く(徒歩一分)にありました。
原木が開花したのが1966年、命名されたのが1974年とのことなので、私が鼻水垂らして畦道を走り回っていた幼稚園の頃から中学生にかけて、わりと頻繁に母の実家に里帰りをしていた頃でした。
子どもの記憶ですから大した信憑性もありませんが、当時は「早咲きの桜」など全く話題にもなっていなかったと思います。
河津桜が有名になって久しいですが、私も今年初めて現地に見に行きました。
もう幼少の頃とはだいぶ街の雰囲気もか変わり、桜一色でしたね。
観光客が増えたものの、周辺の渋滞がひどく、地元の方にとっては痛し痒しの部分もあるかもしれませんね。
そーなんですか、懐かしい場所だったのですね。懐かしい場所が、時間がたつと寂びれてしまう事が多い中、反対に世の中に知れ渡るようになるって、どうなんでしょう・・。
昨年1月に河津町を通った時は、のどかな町の印象だったのですが、今回はまさに観光地。確かに生活道路が、観光客の車であれだけ溢れかえると地元の方にとってはいい迷惑でしょうね。
兎に角、一部外者としては、変に観光地化されないでいてほしいと思う次第です。
でわでわ
こんばんは。
河津桜、だいぶ前に観に行きましたが、その時はたいして混んでいなかったので、駐車場にも困らず、のんびり鑑賞できて、地元の人が売っている食べ物を適当に買ってゆっくり食べながら川沿いを歩いて、とのんびりしたお祭りの雰囲気で良いなぁ、と言う印象でした。
15年位前かなぁ。
>町を花でいっぱいにしたいと思っていただけなのかもしれません
まさに、こういう雰囲気が漂っていました。
ここ数年は大混雑、という話はよく聞いていたので、街興しと言う側面ではいいのかな、と思う一方、地元の人と交流できた祭りが、少し変わっているのかな、とさみしく思っていました。
お金が落ちれば、自然の保護にも使える、地方も栄える、栄えればまた何かができる、とはおもいます^^
ヤッパリ、ざわざわしていないのんびりとした雰囲気でお花見を楽しめた頃もあったのですね。
河津桜がだんだんと浸透するにつれて、年々混むようになっているようですね。新しい道路も着々と造っているそうなので、将来はますますアクセスがよくなるようです。
町としては、人が沢山集まって欲しいのでしょうが、変に観光地化しないで、いつまでも素朴さを残しておいて欲しいものです。
でわでわ
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