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それはリュックに、荷を詰める時から始まる。
想像の道のりがある。
山を歩いていると見えるものがある。
それは先人がたどった頂へ上る道だ。
個々にあった最良の道、最悪の道、又は未知の道もあるかもしれん。
感動の風景が見える。
その風景の気に山人は取りつかれる。
自己の感動を自然の中に求めるか、造形物に求めるかは、己の勝手、
ただ心の持ち方で人の人生は変わってくる。
自然の中にいろんなものが見える。
自然の中にいろんなことを考える。
自然の中でいろんな音が聞こえる。
自然の中でいろんな生を感じる。
自然を描く気持ちが湧いてくる。
美しいものを求めるために、自然を歩けば良いと俺は思う。
求めるものは人それぞれ
それを分け与えてくれる自然に感謝ですね^_^
満ち足りたかに見える現代は、若者他に本物をわからなくさせている。
登山は厳しさを等して、それを回復する一つの行為と大いなる深い美しさを湛える(たたえる)自然とのっかかわり、その存在への憧れに、心を熱きして敢えて(あ)
、危険を冒してもということに興味を失った若者たちというのは、どこへ行ってしまうのだろうかと憂いさ(うれ)を抱く。
地の人曰く我が故郷の日本アルプスが柔弱なる都会人に蹂躙(じゅうりん)されるのは残念である。戦前の若者たちはこうして山に入っていった。
”山は人類の為に作られた学堂にして且つ寺院成り”
そうだ山こそ我々総ての学びの殿堂だ。 我々の聖なる神だ。
農業用地下足袋で、針ノ木峠〜奥黒部〜黒部源流〜薬師沢〜太郎平〜富山を走破したという。
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