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今は昔、行政主導による植林が行われる前(明治時代以前)は、山全体が生物多様性に富む落葉広葉樹が比較的多く自生していたに違いない。そこには、芽吹きの春から花開く夏、そして紅葉で色めく秋を終え雪景色の冬へと、もっと豊かで美しい四季の移ろいがあっただろう。
植林振興と共に美しい自然の景観は失われ、今や林業衰退と共に林業従事者は激減し、育林に不可欠の「間伐や枝打ち」さえままならなくなった。無残にも放置された植林は、異常なほど花粉をまき散らし林床をも脆弱化させ、土砂崩れを誘発するシロモノと化している。安価な外材に押された結果とはいえ、林業行政の「大失敗」と言わざるをえまい。
開花時に毎年多くのハイカーの目を楽しめている岩岳山一帯のヤシオツツジの群生地は、花かずらの著者「鳥居純子」さんらの努力によって国の天然記念物に指定(1974年)されたことで、当時の林野庁による伐採から辛うじて逃れたという。もしこの先人たちの努力がなかったら、当山麓にある京丸ボタン谷と同様、伐採の憂き目に遭っていたかもしれない。
まず声を上げ、仲間とその値打ちを共有し、しかも共に行動に移す熱意が、かけがえのない自然遺産を守った、称賛に値する事例である。
登山道を歩きながら。。。景色や花々を見て。。。あ〜きれいだな〜。。。と感動できるのも、自然保護に動いた先人たちをはじめ、登山道整備やシカの食害や土砂流出を防ぎ高山植物を守る人たちの努力や行動のお陰だということを頭の片隅に意識しておきたいものである。
一方、日本の山々は、古来より人や物の往来に伴い多くの人たちが住み着き、民話・民謡と共に独自の生活文化をはぐくんできた。山に自生する樹木を加工して売り歩く木地師たちも同様で、各地にその足跡を残している。山犬様(ニホンオオカミ)信仰や「山ノ神」を祀る神社、山を修行の場とした山岳密教も山文化の一つと言える。静岡県の水窪には、国の重要無形文化財に指定されている西浦の田楽、青崩峠への「塩の道」には足神神社、しっぺい太郎の墓、木地屋の墓等の歴史的な遺物が豊富だし、江戸の大火で大儲けした紀伊国屋文左衛門がお礼に参拝したといわれる麻布神社や格式ある山住神社はじめ民俗資料館や江戸時代の古民家など、山の生活文化を色濃く残す建造物も多い。京丸ボタンで有名な京丸集落も、既に廃村化しているが、まだ数軒の廃屋は現存する。今も十九代当主「藤原」さんがご高齢にもかかわらず自ら、集落に通じる林道と先祖代々住んだ家をきれいに維持管理されている。
歴史は、我々が今に生きる土台である。したがって歴史的建造物や伝統は、将来にわたってその地域一帯のアイデンティティを示す大切な文化遺産である。
ナショナル・トラストがなかなか根付かない日本には、あと20年も経てば、消滅の危機にさらされる潜在的な文化遺産や建造物はかなり多いと推察される。文化遺産や自然遺産の維持に、地元の有志によるボランティアがなされているものの、メンバーの高齢化とともにその活動範囲には限界があり、次世代への活動の継承や継続的な維持管理が欠かせない状況にある。
行政にばかり「おんぶにだっこ」では、将来的に財政を圧迫しかねないし、永続は難しいだろう。抜本策の一つとして、先進国「イギリス」に見られるように、ファンドの設立による維持管理が必要な時期に来ているのかも知れない。
写真(左) 青崩峠道にある木地屋の墓
写真(中) 廃村化した京丸集落の中で、唯一手入れの行き届いた藤原家
写真(右) 満開に咲き誇る岩岳山のアカヤシオ