本来、“縦走”という言葉は適切ではないが、ヤマレコ風の表現とお許し頂きたい。
当時、買っただけで満足してしまい、全く手を付けていなかった「えんぴつで奥の細道」。
発行年は、驚くことに2006年。
幸か不幸か、やっと日の目を見る日がやってきた。
1689年旧暦の3月27日、松尾芭蕉(当時45歳)は東京の深川を出発した。東北から北陸を経て、大垣までの約150日間、2400キロを縦走。
伊賀の出身だったことから、芭蕉=忍者の噂もあるらしい。これもヤマレコ風に言うならば、トレイルランナー⁉であろうか。
そんな芭蕉は、331年前の今日、福島にいたらしい。そして私は、栃木に入り、二日後には日光だ。このままのペースで進めれば、おそらく今月中旬には、山形の最上川辺りで、芭蕉に追い付くだろう。その後、一緒に縦走するか、先に行くかは、まだ決めていない。
ところで芭蕉には、曾良という同行者がいたが、私はソロww。
ただ今、同行者を絶賛募集中である。
タイトルは忘れてしまったのですが、北八ッ彷徨等で知られる山口耀久氏のテキストだけで表現するセミナーに参加したことがあります。前半が中世の芭蕉で後半が近代の子規の予定が収まらずに奥の細道だけになってしまいました。わたしも岩波文庫で入手してすべて読みました。(読んだだけです。)日光の後に出てくる遊行柳はすぐに風景が浮かんできた忘れがたい一句です。今でも、西行と芭蕉と蕪村と子規が並んで柳の下に立っているような気がします。残念ながらいまだに行ってません。やはり芭蕉の田植えの頃がベストですかね。
ちなみに松島でよんでいないことが忍者説の根拠の一つになってますが、ここは岩波文庫でも複数ページの記述があります。17文字に収まらない感動があったようです。奥の細道を読むと芭蕉の西行への憧れが伝わってきます。
Kijo-Ashさん
コメントありがとうございます。
「松島や、ああ松島や、松島や」は、芭蕉の句では無かったようですね。恥ずかしながら不勉強で、今回、はじめてその事を知りました。
遊行柳しかり、本を読むと、その土地への憧憬がますます強くなりますね。
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