山で出身を答えると相手の口から加藤文太郎の名が出ることが度々あり、これまで存在を知りながら読まずにいた「孤高の人」を読んだのが今年の1月。
尊敬すべき人物なのかどうか怪しいと思ったのが正直なところだが、今年7月の登山でも、8月の登山でも、出会った登山者の口から加藤文太郎の名を聞いた。8月の登山の帰路、会社への土産を買うために立ち寄った松本駅の駅ビルの書店で「単独行者 新・加藤文太郎伝」を手にして読んでみたくなった。
「孤高の人」が色々と時代を反映した暗いエピソードを盛り込んでいるのに比べると、登山のことに特化して書かれていて、幾分気持ちよく読めた。
薬師〜烏帽子縦走のエピソードは、記憶に新しい8月の山行で逆方向であるが通過した部分を含んでいて、あのルートを冬に通ったらと想像しながら読めたのがよかったし、最後の北鎌尾根の件も、大槍の天辺で北鎌尾根から登ってきた人と話していたせいでより一層リアルに読めたかな。
「孤高の人」の加藤が同行者に巻き込まれて遭難したという印象なのに対し、こちらの方がより一層加藤自身の責任が大きい気がした。槍平で激昂するあたり、「あ〜あ、やっちまった」といった感じ。同行者を悪者に仕立て上げてない無いところは著者の誠意かな?
どうしても読み比べてしまうせいもあって、文庫版あとがきにある「仕掛け」には読んでいて途中で気がついた。先行作品あってこその「仕掛け」だったけど、読み終わった後もう一度「孤高の人」を読み返したくなったのは確かだ。そういう「仕掛け」。先にこっちを読んでいた人がいたら、書店へダッシュしたろうな。
でも、その前に同時に買っていた加藤自身の著作集「単独行」を読まなくてはならない。双方の作品に同じような描写で書かれている立山の雪崩の件は加藤の人柄を知る上で重要なエピソードのはずだから原典にどう書いてあるのか気になった。
追記:
同じ兵庫県人の目でみて。週休2日の定着した現在より休暇の少なかったであろう当時、少ない休暇でなんぼほど北アルプスに出向いているんだ、このおっさん。と、羨ましいやら呆れるやらだが、作品中度々出てくる「自動車(路線バス)や「夜行列車」という言葉を見るに付け、近頃、廃止相次ぐ田舎の路線バスや夜行列車のこと思うと、案外現在の方が日程的に不便な面もあるな、と思う。特に氷ノ山周辺の縦走登山を計画しようとすると、廃止になったり休日走らないバス路線もあり苦慮する。また、この8月の山行でも急行「きたぐに」廃止のために余計なタクシー代を払わなければ、出勤翌日早朝から歩き始めることができなかった。
こんにちわ
物事を文章にすると、個々人の感覚の違いによる「齟齬」がそうしても生じてしまいますね
わたしも加藤文太郎氏の奥様の手記や記念館を訪れるといろいろ見方が変わってきました
http://www.geocities.co.jp/Outdoors/2043/kakoubuntaroukinenkan.htm
浜坂町へ是非、おいでください
でわでわ
「奥様の手記」は「単独行」に収録されてるようですね。まだ読んでないですが。
自分の読解力にそれほど自信がある訳ではないので、加藤氏の人柄を読み解くには程遠いです。ただ立派じゃない自分の「単独行」と重ねてしまうせいで、どうしても「単独行者」を立派と思えないところがあるのです。
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