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夏休み前の今週は三者面談期間の為、半日授業だそうで昼には迎えに行かなくてはならぬ(ーдー)=3
浅間山の麓、小諸の街では街路樹のサルスベリが咲き始めました。そろそろ山でもあの花が咲き始める頃だろうと思い裏山の浅間へ🚗=3
高峰高原へ向かうチェリーパークラインのシモツケの花が色褪せる頃ヤナギランが入れ代わりに麓から咲き始めます。
高峰高原へ着く頃には麓の街にたまっていた雲海の雲が溶けて山へ上り始めていた。
散策をする前にビジターセンターのお姉さんと周辺の草花の様子を話をしてからヤナギランの咲くゲレンデへ。
ゲレンデのヤナギランは丁度咲き始めていました。
昔はゲレンデを埋め尽くすほどの群落でしたが現在は鹿の食害によりニッコウキスゲ同様に高峰高原ではその数を減らしています。
まぁ、これもまた自然のありのままの姿。人が愛でる為だけに植物は花を咲かせている訳ではない。
整備された山や高原の観光地で防獣柵に囲まれたお花畑を見ると、ありし日のその地の姿を保存しているかのようでどこか人工的に見えてしまう。
人が害獣と呼ぶ動植物達が増えてしまった現状は人が作り出した事なのにね。美しい景色を保全しようとも人は頑張っている。人という生き物はなんとも都合良く滑稽な生き物だろう。
山はただいつものように小さな動植物の変化など気にもしていない顔をして沸き立つ夏の雲と戯れている。私もまたいつもと変わらず山々を眺めながらコーヒを飲み煙草の煙をふかしている。
昔はどうであった、とかこれが自然の有るべき姿だなどは人間の尺度で計った景色の変化であり実際の所私はどうでもよいのだ。
人類が滅べば自然はアッという間に再生するだろ。新たに隆起して生まれる山もあれば、侵食により無くなる山もあるだろう。
私はただもう少しだけありのままの自然と戯れていただけ。疎らになり頭を齧られたヤナギランの花を愛でながら思った月曜の朝なのでした。
カモシカは群馬県側の車道で目撃情報があったと教えてもらいました。
ニホンジカが増えたのも、熊が里へ下りてくるのも人間の行動が一因と思ってる。
雪がとけて、芽吹の季節と梅雨が来て。
陽射しの後、実りの季節は雪に備えるため。
浅間山界隈で過ごす時間は、
そんな当たり前の時間の流れを教えてくれる。
自然のなかに生きられることに感謝だよ!
毎年めぐる季節の中で変わらない物と変わっていく物はあるけれど、山はただそこにありいつでも迎えてくれる場所だね。
自然のバランスって人間の都合の良いように良し悪しを決めるものではないって思うんよね。
荒廃と再生を繰り返しながら山の景色は変わっていくもの、ありのままの自然の姿をこれからも味わいながら山を歩いていきたいなぁ(* ̄∇ ̄*)
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