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よって散策は中馬街道(伊那街道)になる。伊勢湾、三河湾の塩をメインに通しで運搬した内陸ルートだ。
米、豆、たばこ、生糸、麻なども複数の馬で運搬。馬は賢いので馬方なしで次の馬宿まで到着したこともあるそうだ。付け通しなので利も多く、馬方の金銭感覚は定住農民とは全然違う。相場をにらんで買い付けや売り惜しみもした。ルートは信州と三州の馬方たちの争奪場所でもあった。
馬小屋もある馬宿はあまり残っていないが街道沿いには多数の石仏(馬頭)、石碑、ところどころに石畳が残る。
浪合関所は武田信玄が設置したそうだが江戸期を通じて機能した。復元門と大きな礎石広場が残る。
平坦な川沿いの涼しい静かな道。例によって誰もいないのが惜しまれる。
近くの尹良親王(後醍醐孫)陵は宮内庁管轄という。最後の文人画家、富岡鉄斎らが復興したという神社や参道の檜並木が立派。御陵は吉野の後醍醐天皇のそれをほうふつさせる。南朝側の史料は少ないが吉野のように修験者(山伏)、山師、悪党、芸人、野武士など得体のしれない異形勢力が頻繁に行き来し歴史上に暗躍したのだろう。
親王はここで北朝勢力に殺されたというが、戦国の騒乱期、太平の江戸期を通じて旧南朝武闘勢力は継続されたに違いない。
念流山山頂の上野馬庭剣術家による摩利支天祠も武闘派ネットワークを物語っている。
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