山行き当日の深夜3時半頃に携帯に電話が鳴った。嫌な予感がした。この時間の電話に、いい知らせなどあるわけがない。予想通り母親が入院している病院からで、すぐ来て欲しいとの事。最低限の身支度をして、妻も準備している間に、山に行く予定のリュックから財布、車のキーを別の鞄に詰め替えた。昨日、日記に御堂筋ランウェイからの明日は山行きとお気楽な投稿をした事を思い出し、自分を責めました。
母親が苦しんでいるのに山に行き楽しもうとしてた事を...この状況から脱して欲しいとの気持ちから、すぐに削除のボタンを押した。
拍手してくださった方へ申し訳ございません。
今となっては消した事も後悔。自分らしくない
病室に入ると3人がかりで処置をしてもらってるが、血圧が戻らない。医師から、何か言われたが覚えてない。こちらから、「何か最後にできませんか」と問いかけた。すると心臓マッサージを始め薬を投与してもらったが、手を離すと元通り。
母親は,親父のいるところに旅立ちました。
喪主は俺が務めるので最高のお見送りをしてあげようと切り替えるが、辛かった。(けっして祭壇を豪華にとかでなく、感謝の気持ちを込めて)
でも喪主はこれで2度目...1度目は親父の時で、母親にさせるのは可哀想と思い俺が務めたので、なんとなく覚えてるし不安はない。
病院には午前中くらいは安置してもらえるそうだが、すぐに葬儀会社に連絡し病院の夜勤の方がおられる間に搬送できた。夜勤の看護師さんにもお見送りしてもらえて、感謝しかない。
その後は親類等への連絡、葬儀の打合せ、実家に行って使えそうな写真、思い出の品等を探しまくった。アルバムから探すのだが、親の若い頃の写真を見るのは子供の頃以来。それを参考に棺に入れる思い出の品を探したり、通夜、葬儀とハードな3日間。
唯一の救いは、母親の美人三姉妹の長女(昭和一桁生まれのガンコおばあちゃん)、俺に平気で怒ってくる唯一のおばちゃんが言ってくれた一言が嬉しかった。繰上初七日法要の終わりにろうそくが揺れたそうで、その後ろの遺影の顔が微笑んだはった、お母さん喜んでるわ...
えーお葬式したげはったとの言葉をかけてもらえた。遺影は最初から笑顔なんですけど?
ひと安心です
その翌日夕方から熱が出てきた。この6年ほど熱が出た事ないのに、疲れかなぁ?
かかりつけ医に電話して、裏口で検査してもらうと、これも予想通り...コロナ初感染
この5日間は、感染防止から母親のいる部屋での隔離生活。目の前で優しく微笑んでる母親と同じ部屋で寝ています。
同じ部屋で寝るのは、いつ以来?
コロナに感染してしまったが、熱は一晩で下がり、喉イタもほぼ治ってきた。思っていたより軽症ですんだかも?...最後までオカンに感謝
幾つになっても亡母に守られてるような...
忘れられない1週間でした
お母様ご愁傷さまです。
お父様と再会されて…
天国で楽しく会話されていることでしょうね
sf1013さんも早く元気になられますように…
お大事になさってね。
ご丁寧にありがとうございます
再会→いいとこつきますねぇ〜
それにちなんだ物を中に入れておきました!
私は大丈夫です
いつまでも凹んでませんよー
さまよい きましたねぇ!
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