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であるが、二つの国道を選択する瞬間が実はとても緊張する。
ほぼ日帰りの行程であるが、ひとつは、国道151号を北上して南信地方へ。折り返しの帰りは153号から257号、そして151号へと。その逆もある。
景色は、時間帯と陽の角度が異なることから、同じ場所であってもまるで異なる。2日続けて右回り、左回りをすることができたとしても、情景は異なる。ましてや1年通して毎日継続して出かけることなどできるはずもないわけで、まさに出かけて出会うことそのものが、一期一会の世界である。ある種、夢追い人のような自分がいることに、非日常を味わう喜びを感じる自分がいる。要は現実逃避である。
その決定する箇所は、新東名高速の新城インターを過ぎた、Y字路の交差点だ。そう、何でもない交差点である。
交差点を通過するタイミングにもよるが、赤信号で停車した時は、信号待ちの短時間が、ここから先の情景がどのように感動を与えてくれるのかという期待感と、想像する架空の絶景に心が揺れる。青信号で通過できる時は、なぜか迷わずハンドルを操作する自分がいる。当然だが、迷っている暇はないのである。
宝くじを購入する知人からは、買うか買わないか、買えば確率は二分の一という高確率というもの・・・。そう、何を隠そう、私も出かけない限りは、一期一会の情景に会うことのできる確率は同じと考えている。
私にとって、この分水嶺は、光と影の選択における、崖っぷちかもしれない。
一期一会の情景。
いつもはクルマで移動する場所も徒歩で感じ取るそれはとても新鮮ですね。
撮影行でのクルマルート選択における緊張感はどんなものなのでしょう。
私の場合は現地へのクルマ移動は運転に集中する余り、ある種味気ないものかも知れません。
一方、踏査での山や沢歩きの景色はほぼ二度とは見ることのないもの、いや、仕事ゆえに、二度は見なくても良いようにしています。
それだけに情景として四半世紀前の情景であっても、スケッチで起こせる程の映像としての記憶力となっています。
「光と陰の分水嶺」こそが一期一会の情景となるのでしょうね。
駄文、お目汚しご容赦の程。
こんばんは、ご無沙汰しております。
お元気でしょうか。
またも、遠吠えのごとく書いてしまいました。
ご感想をいただきありがとうございます。
私の場合、同行するいわば同志という者が周りにいないもので、どうしても単独行となってしまいます。
そのせいか、撮影のこと、仕事のこと、家庭のことと、いろいろ自問自答しつつ出かけ、帰路に就きます。
あるときラジオで、交通事故防止のキャンペーンとして短編劇場のような会話が流れていました。
いろいろと思いをはせながら運転する主人公に、「運転中は、考えないで・・。」というものでした。
難しいことですが、なかなかできないものです。
いまのところ、ひやりとしたことはないため、いまのまま継続できればと願っております。
どうか、ご安全に、お体を大事になさってください。
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