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お気に入りのアマゴ狙いの溪として毎月のように通っていた、天竜川へと注ぐ支流の枝流、出馬川。
流呈は短くも未舗装の林道から離れていく流域は、駐車してから拾い釣りするような容易さはなく、川沿いにつけられた山師の道に分け入ることは、それなりの装備と覚悟が必要であった。山師の道とはいえ、薮や倒木が覆い獣道のようなもので、V字型の谷の核心部は高低差が激しく高巻きや胸までつかるような渡渉を要求された。しかしそうした地形が連続した滝や淵をかたづくって、よだれの出そうなポイントだらけであった。こんな川であるが、意外にも釣りをする輩に出会うこともなく静かに集中した釣りを楽しむことができ、また川幅が数十メートルあるような大川の狙いどころのない状況とは異なり、デッドドリフトで流れ下るフライ達に対しセオリー通りの捕食行動を見ることが約束され、いやがおおにもその魅力を煽っていたのも事実であった。
私は、いつもどおり夜明け前に入渓し、キャッチアンドリリースを繰り返し、フライ交換のたびにティペットが短くなることで余計なドラッグがかかるので、ティペット交換を複数回終えるのであるが、この時も昼頃になっていた。この間、山師の道は渓とつかず離れずのところもあれば、随分と上の方を通っていたり斜面の崩壊で寸断されていたり、まともに歩くことはかなわなかった。
太陽も頭上高く真上となり、次のポイントはどのようになっているかを確認したのち、ここで腹ごしらえと決めた。少し下流の岩の上にネオプレーンのゲーターを乾かしながら、持参したにぎりめしをパクついた。ここでシャリばてとなると、帰路、川伝いに戻るときに軸足に力が入らず、渓流内で転倒し怪我を誘発してしまうので、食事は簡単に、しかし十分に摂るのが私流。
先ほど確認したポイントは、ふたひろ(3メートル)程の川幅の中央に、大きな沈み石があり、その流れの上流側は、底が大きくえぐれており、底が見えないように黒くなっていた。川の上部は枝が張り出し、こうした場所では、枝から不幸にして落ちてしまう陸生昆虫などが、渓魚の格好の餌となり、縄張り意識の強いより大型な個体が住み着くことが多い。状況ではオーバーヘッドキャストでは無理なため、バックハンドのサイドキャストで沈み石の上流部へ、陸生昆虫の代表的なパターンである、12番のエルクヘアーカディスを流し込んだ。フックは古典的なマスタッドでなく、ティムコのそれである。自分がウェーディングしている場所は、そのポイントの5メートほど下流の流れ出しにあり、フライラインが下流側へと押し流されてしまうことで、余計なドラッグがかかるため、ティペットは1メートル近くロングティペットとした。フライは黒く見てとれた石の脇に渦として流れ下っているところを、ダンスのスピンのようにくるくる回りながらゆっくりと流れ下っていた。突然黒い長い枝の様なものがフライに向かってくるかと思った矢先、水しぶきを上げながらフライを飲み込んだ。その時、心の中で「やったー」と叫んでいたのだが、背後や後方の斜面から、中年の女性たちの歓声(確か「すごい!、すごい!」)が聞こえたような気がした。ラインの先にある獲物は、石の底の方へ潜り込もうと抵抗していたが、少し上流のランディング場所を探しながら川の中を上流へと移動し、キャッチすることができた。リリースする前にサイズを測ると、こんな小渓流にかかわらず28センチほどあった。私は釣り人を含め、人に会うことなど想定しておらず、ひょっとして森林伐採のためか、さらに上流域の治山用の堰堤工事の為か何かで、斜面から見下ろしていたのかなと想像しつつ、たかが5分ほど前からの時間を確かめるがごとく、辺りをきょろきょろと見渡すが、人の気配も何もないことが理解できた。
私は釣り上げることができた興奮のせいか、比較的日の当たる渓であったためか、真夏に薮漕ぎをしてきたような大汗をかいていた。今日一番の獲物が釣れたこともあり、夕方まで釣りをすることが多いのだが、太陽が真上に近いこの日は、満足しながら帰路に就くこととした。出馬川での釣行では、普段からその場所は川の中をそのまま引き返すような感じで帰路に就くことが多いのだが、たまには山師の道があれば利用して帰ろうと少しでも水濡れを避けようとした。それは濡れることで、疲労もたまるこことなるためだ。リリースした場所の山側をよじ登ると、獣道のような道があることに気づき、これで帰ることとした。
途中、随分前に伐採した後の少し開けた場所や、崩れかけた立派な石積みの脇を通る箇所があったが、斜面崩壊などでまともにあることはできず、再び川に降りることとなった。今回道と思い込んで歩いてきたが、大部分は獣道であったようだ。
普段と違う帰路にてこづっていた私は、少し焦りつつまた大汗をかいていた。
釣りをしながら遡行してきた時間と比べれば、たとえ川通しであっても下ってくることできれば、非常に早く帰ることができることはわかっていたので、普段通りと違うことを選択した自分を後悔していた。車につく頃には、日が随分と傾き、ヒグラシが大合唱となっていた。
それにしても、あの歓声?は何だったんだろうと今も謎である。
それから20数年後に、釣り道具をもたず撮影機材を持参し遡行したが、その場所から上流側には2基の砂防堰堤が建設され、その下流部のダイナミックな渓相は変わらずとも、アマゴがそこかしこに泳ぐ昔の川とは異なり、言い過ぎかもしれないが、死の川となっていた。
ところで、あの石積みはかっての山城だっのか、いまでも謎である。
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