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55年前の6月24日、二十歳で自ら人生に終止符を打ったあなたに、この手紙を捧げます。
あなたは1949年1月2日、栃木県の西那須野町に生まれ、中学校時代は、『アンネの日記』の真似をして、「小百合さん」と、日記に呼びかけていました。
宇都宮女子高校に進み、勉強もスポーツも一生懸命に取り組む、優等生でした。そして、立命館大学に惹かれ、京都で一人暮らしを始めます。
時は折しも学園紛争の真っ只中でした。どのように学生運動に関わるのか、を常に問われる毎日。仲の良かった友人とも距離が生まれ、男性に孤独を埋めてもらいたいと願いますが、その願いが叶うことはありませんでした。
1969年1月2日、二十歳の誕生日に「一人であること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である。」と記します。自らの孤独と未熟を引き受け、生きていこうとしますが、それからわずか5ヶ月後、貨物列車に飛び込み、二十歳の生涯を閉じました。
大学時代、私はあなたの日記を、孤独な叫びを、痛みを持って読みました。あなたに生きて欲しかった。そうして話してみたかった。心からそう思いました。
あなたは覚えていらっしゃいますか? 私があなたの足跡をたどるように、京都を旅したことを。花を携えて、那須にある、あなたのお墓を訪ねて行ったことを。
あなたには、大学で学んだ日本史を生かして、教師になる、そんな道もあったのではないかと思います。人間が根本的には孤独であることを理解していたからこそ、生徒の喜びにも苦しみにも寄り添うことができる、そんな教師になり得たのではないか、と思います。
自殺の2日前に記された、山を愛したあなたらしい絶唱は、忘れられません。
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
出発の日は雨がよい
霧のように霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
そして富士の山にあるという原始林の中にゆこう
ゆっくりと焦ることなく
大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか
原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう
衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗闇の中に漂いながら
笛をふこう
小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
※高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)より
おはようございます (^^)
表紙をめくって の 写真の
どこかの境内のような、
灯篭?の間に立つ 姿に
一緒に 歩きたかったな〜 って思ったり
山頂で、その姿を真似てみたり しましたね〜
ありがとうございました。
学生の頃に読みました
この本と「きけわだつみのこえ」は多感な頃に
生きることを深く考えさせて頂いた本でした
なんか、懐かしかったです😊
懐かしく感じていただき、ありがとうございました。
私もこの本読みました。
当時の情勢を考えると、繊細かつ、真面目すぎたねかなと感じました。
生きていれば、時代も変化して活路はあります。
私自身も順風満帆な人生ではなく、一時は経済的にも精神的にも追い込まれた時期があり、家族に生命保険を残して自死を考えたこともあります。
ただ、亡き父の、「生まれてくることと、死ぬことは一生に一回しかできない。生まれるのは自分の意思で無いからどうしようもないが、死ぬのは選べる。ただ一回しか出来ないことを早まって使うのはダメだ。絶対死ねるのだから、出来るだけ生きて、最後に一回しか出来ない死を味わいなさい」という言葉でなんとか克服してます。
もちろん自死が絶対ダメみたいな表面的な考えではありませんが、行き詰まってどうしようもなくなった時の参考に書きました。
私は『二十歳の原点』を読んでいて、休学してご実家に帰られていれば、自死を選ぶことはなかったのでは、と思いました。精神的な支えがなかったことが、彼女を自死に追い込んだ最大の要因だったように思います。
私が高野悦子にはまったのは、遠い昔のことで、今は自殺のじの字も考えません。
詩人の心を持っていた彼女は、太宰治の『彼は昔の彼ならず』という小説を読んでいたなあ、私も読み返そうかなあ、と思っているところです。
コメント、本当にありがとうございました。
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