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長野市のシンボルと言えば、飯縄山。私は長野市で育ったので、勿論小五のときに登った。それから、社会人となり長野市に戻るまで登ることはなかった。
今現在、登山登頂回数が一番多いのが飯綱山である。そして、これは自分の登山スタイルでもあるのだが、登りは一般登山道(一の鳥居からが一番多い)で、下りは敢えて登山道を外しています。(藪があるので、積雪期に限ります)
茅野市に勤務地があった時,一番多く登ったのが蓼科山。シンボル的には八ヶ岳の赤岳かもしれないが、蓼科山の方がお気楽に登れる。1月15日は、大概蓼科山でした。山岳部のDKとだったり、同僚を誘ったりして、蓼科山山頂からの帰り,尻セードを楽しんだりした。
(ここからが本題)
ネパールでの青年海外協力隊時代、私は首都カトマンズと観光地であるポカラの丁度中間地点にあたるゴルカ(英国の傭兵で通称グルカ兵の語源です)から徒歩(1988年当時は徒歩しか移動手段がなかった)で2時間のブンコット村の
サヒッド・スムリティと言う名の学校に拠点に活動してました。そのブンコット村から見えていた山がヒマルチュリという名の山。(写真の中央奥に見えている山です)
このヒマルチュリの2つ左に見えるのが標高8000mを超えるマナスル。マナスルの初登頂は日本人ということで、マナスルの名の知名度は大きく、あまりヒマルチュリは聞かない。
私にとって、ブンコット村からのシンボルはヒマルチュリでした。
シンボル的な山には登りたいところではあるのですが、このヒマルチュリの標高は7800m。今の自分には難しいだろうな。イモトがマナスルに登ったくらいだから、お金をかければ(技術、体力も勿論必要ですが)不可能ではないが、どうだろう。ちょっと気合を入れて登れるとは思わないが、そうだとしたら63ー1同期のS町ジー(彼はゴルカのナレソワール村でやっぱりヒマルチュリがシンボル的に見えていたはず)と行ければ最高なんですが。夢で終わってもOKかな。
1枚目の写真 当時ブンコット村のチェアーマンと私
2枚目の写真 中央ガヒマルチュリで左下に学校が写っています⇨写ってなかった!
3枚目の写真 同期隊員のS町ジー、私の最高到達地点でアイランドピークの手前
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