近畿

最終更新:綿はる
基本情報
標高 | 138m |
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場所 | 北緯35度21分40秒, 東経136度17分20秒 |
山名 田村山
別名 多々岡山・簀山(もっこやま)
標高 138m
田村山は七岡山の一つです。
七岡山とは
長浜市南部の、西黒田地区から神田地区にかけて、独立した小丘陵があちこちに点在しています。代表的なものは田村山です。これらの小丘陵は古墳ではなく、琵琶湖陥没期の残丘といわれ、長浜市内でも南部の西黒田、神田一帯に集中し独特の景観を作り出しています。
これら小丘陵に「岡」の字がついたものがいくつかあります。熊岡山、禾岡山、栗岡山、歌岡山、四面岡山、亀岡山 ( 別名:神田山 )、松岡山 ( 神田パーキングエリアの所 )、多々岡山 ( 別名:田村山 )、中岡山などです。
これらの内の7つを七岡山と呼ぶのですが、文献や書物により七岡に数える対象が少し異なります。
参考文献
NPO 法人長浜観光 VG 協会
第24号「魞の湖通信」令和4年8月1日
http://xn--vg2017-hg2jp03qukzcsuya.club/vg/wp-content/uploads/2022/08/1541dd18499cee90007b20d65bf46285.pdf
著書 祷の峯 北村賢二遺稿集
編者 近江百山之会
発行所 サンブライト出版
P104には以下の通り書かれています。
いちきやま一繖山<長浜市>
長浜市の南西部、田村・寺田・加田の字界に位置する山。通称田村山,別称多田幸寺山・只越山。西法寺山・諸神ヶ岡・多々岡。標高138.5m の小丘陵。琵琶湖陥没期の残丘。長浜市の南部一帯は、かつて天台宗霊亀山妙立寺(現日蓮宗,長浜市加 田)の勢力下にあり、一簀山の東麓には、西屋寺・西方寺の寺址があり、南麓の現臨済宗妙心寺派多田幸寺も、妙立寺の末寺として創建された。薬師如来坐像 (重文、貞観期)を伝える。後鳥羽上皇の諸神ヶ岡の行幸を伝える只越神社は、明治43年、北麓の忍海神社に一簀山神社とともに合祀された(坂田郡志)。山頂には、竜池(別称鯉が池)と呼ばれる直径約7m, 深さ約2mの窪地がある。
別名 多々岡山・簀山(もっこやま)
標高 138m
田村山は七岡山の一つです。
七岡山とは
長浜市南部の、西黒田地区から神田地区にかけて、独立した小丘陵があちこちに点在しています。代表的なものは田村山です。これらの小丘陵は古墳ではなく、琵琶湖陥没期の残丘といわれ、長浜市内でも南部の西黒田、神田一帯に集中し独特の景観を作り出しています。
これら小丘陵に「岡」の字がついたものがいくつかあります。熊岡山、禾岡山、栗岡山、歌岡山、四面岡山、亀岡山 ( 別名:神田山 )、松岡山 ( 神田パーキングエリアの所 )、多々岡山 ( 別名:田村山 )、中岡山などです。
これらの内の7つを七岡山と呼ぶのですが、文献や書物により七岡に数える対象が少し異なります。
参考文献
NPO 法人長浜観光 VG 協会
第24号「魞の湖通信」令和4年8月1日
http://xn--vg2017-hg2jp03qukzcsuya.club/vg/wp-content/uploads/2022/08/1541dd18499cee90007b20d65bf46285.pdf
著書 祷の峯 北村賢二遺稿集
編者 近江百山之会
発行所 サンブライト出版
P104には以下の通り書かれています。
いちきやま一繖山<長浜市>
長浜市の南西部、田村・寺田・加田の字界に位置する山。通称田村山,別称多田幸寺山・只越山。西法寺山・諸神ヶ岡・多々岡。標高138.5m の小丘陵。琵琶湖陥没期の残丘。長浜市の南部一帯は、かつて天台宗霊亀山妙立寺(現日蓮宗,長浜市加 田)の勢力下にあり、一簀山の東麓には、西屋寺・西方寺の寺址があり、南麓の現臨済宗妙心寺派多田幸寺も、妙立寺の末寺として創建された。薬師如来坐像 (重文、貞観期)を伝える。後鳥羽上皇の諸神ヶ岡の行幸を伝える只越神社は、明治43年、北麓の忍海神社に一簀山神社とともに合祀された(坂田郡志)。山頂には、竜池(別称鯉が池)と呼ばれる直径約7m, 深さ約2mの窪地がある。
山頂 |
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