関東
城山稲荷神社(しろやまいなりじんじゃ) / 本庄城趾
最終更新:Tutuganasi
基本情報
場所 | 北緯36度14分36秒, 東経139度11分31秒 |
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山の解説 - [出典:Wikipedia]
本庄城(ほんじょうじょう)は、埼玉県本庄市(武蔵国児玉郡本庄)にあった戦国時代の日本の城(平山城)。武蔵七党の一角を占める武士団である児玉党を構成する本庄氏によって築かれた。後に本庄藩の居城となる。石垣の城ではなく、畿内の近世城郭のような天守も存在しなかった。本庄宮内少輔実忠が古河公方家を迎え撃つために、弘治2年(1556年)に構築し、元の本拠地であった東本庄館から移動した。ただし書籍などによって築かれた目的は異なり、見解は諸説ある。永禄10年(1567年)に北条軍に攻められ落城させられるも、本庄氏は降伏し、後北条方に服属することで城を回復した。。天正8年(1580年)、実忠の死後に家督を継いだ本庄隼人正近朝が城主となった。天正18年(1590年)に後北条氏傘下として豊臣秀吉と対立し、小田原城へ籠城するも開城に際して自害した。同年5月27日には本庄城も落城しており、鎌倉時代から本庄の地を支配してきた武蔵国の本庄氏は滅亡した。本庄氏による本庄城在城期間は、2代合わせて34年である。
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