ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

旧草軽電鉄上州三原駅跡地(きゅうくさかるでんてつじょうしゅうみはらえきあとち)

最終更新:sugegasa
基本情報
場所 北緯36度32分02秒, 東経138度33分00秒
カシミール3D
地元や鉄道マニアには、それなりに知られた史跡らしい。
現地には、案内板以外に当時を偲ばせる物は無い。
群馬銀行嬬恋支店駐車場の奥に案内板がある。
駐車場 群馬銀行嬬恋支店駐車場

山の解説 - [出典:Wikipedia]

草軽電気鉄道(くさかるでんきてつどう)とは長野県北佐久郡軽井沢町の新軽井沢駅と群馬県吾妻郡草津町の草津温泉駅を結ぶ鉄道路線(軽便鉄道)を運営していた鉄道事業者(廃止時は東急グループ傘下)。
鉄道事業廃止後も、会社は草軽交通というバス会社として残っている。本項目では主に同社が運営していた鉄道路線について述べる。
草津温泉は古くより名湯として知られていたが、明治時代後半になっても交通機関が未発達であった。草軽電気鉄道はスイスの登山鉄道に着想を得て、軽井沢から草津や浅間山麓の高原地への輸送を目的として着工され、大正時代の1914年 - 1926年にかけて順次開業した。開業に際し、以下のような唄も作られている。

  1. 私や草津の鉄道よ 長い苦労の効あって 開通するのも近いうち 前途を祝して踊ろうよ

  2. 私や上州の草津町 浅間を右に高原の 海抜四千五百尺 お湯じゃ日本のオーソリティー

  3. 湯の花かおる草津には 春は緑に秋紅葉 冬はスキーに夏は避暑 浮世離れた理想郷


この間、1923年に吾妻川電力が沿線5か所の発電所建設による資材輸送の必要から草軽電気鉄道を傘下に収めると、同社の重役である河村隆実を社長に就任させ、社名変更、電化、草津温泉への延長、自動車兼営、電気事業など積極的な経営に乗り出し、そのための増資、社債発行を実施した。
同時期に法政大学学長の松室致は、自分の別荘が蒸気機関車の火の粉による火災に遭ったため抗議をしに会社を訪れたが、逆に説得され電化事業に手を貸すようになった。そして松室から7.9万坪もの土地の寄付を受け、それを元手に五百坪付の株式を売り出し、130万円の増資に成功した。
ところが予想に反して利用者は伸びず、政府の補助金を受けても赤字は埋まらない状態が続いた。配当も途中から無配となり、ついには社債も債務不履行となった。1932年の社債権者集会では利率の大幅引き下げを決議し、その他償還日(1934年9月)の延長は何度も行われ、最終的には1945年9月まで支払猶予したという。
建設費用をできるだけ抑えようとしために急カーブやスイッチバックがいくつも存在し、山岳地帯を走るにもかかわらずトンネルは存在しなかった。勾配がきついところではブレーキをかけるのが大変だったという。それに加え、本来道床に必要なバラストも敷かれない区間もあった。線路規格も極端に低かったことから、55.5 kmを走破するのに2時間半から3時間を要した。
高原地には、嬬恋・北軽井沢等の途中駅があった。高原列車として親しまれ、1951年には日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』にも登場した。旅客輸送だけでなく、温泉地である草津町には食料を中心にした物資を運び、長野原町、六合村、嬬恋村の3町村から産出される農産物や、草津白根山周辺に点在した鉱山からの硫黄鉱石などが草軽電気鉄道によって輸送されるなど、物流の面でも重要な役割を果たしていた。このため、定期旅客列車は貨客混合が一般的であった。草軽電気鉄道の輸送は第二次世界大戦の終盤にピークに達し、同時期に硫黄の産出もピークを迎えていたことから、当時の硫黄鉱山を経営していた「帝国硫黄工業」と連携して多量の硫黄鉱石が搬出された。また、出征兵士の輸送にも草軽電気鉄道が使われることが多かった。
しかし、1935年に渋川 - 草津間などで国鉄バスが運行を開始するなどして一般のバスの大型化が進むと、草軽の輸送力は他の輸送手段に比べてその差は歴然であり、利用者は次第に減少していった。1945年に国鉄長野原線(現・JR吾妻線)が開業(長野原 - 草津温泉間は国鉄バスで接続)すると利用者は一気に国鉄側へシフト。1947年には政府補助金制度も廃止となった。さらには度重なる台風災害によって鉄道施設が大きな被害を受け、1959年の台風第7号による再度の吾妻川橋梁流失が決定的なダメージとなってしまった。周辺住民や地元自治体による存続運動もあったが、1960年の利用者数は全盛期の約8分の1の5万6000人に激減し、第一次廃線として1960年に新軽井沢 - 上州三原間が廃止。残る上州三原 - 草津温泉間も1962年に廃止となった。

付近の山

この場所を通る登山ルート

この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

「旧草軽電鉄上州三原駅跡地」 に関連する記録(最新10件)

関東
07:4982.6km2,422m10
  93    7 
tancro, その他2人
2023年07月16日(日帰り)
赤城・榛名・荒船
01:536.5km100m1
  18    6 
2022年08月05日(日帰り)
志賀・草津・四阿山・浅間
02:356.7km51m1
  26    46  4 
2022年07月20日(日帰り)
赤城・榛名・荒船
13:0167.6km2,974m9
  41    13  4 
2022年05月04日(日帰り)
甲信越
06:1825.3km498m3
  78    9 
2022年01月05日(日帰り)
関東
31:06120.8km3,201m10
  129    10 
2019年10月08日(4日間)
赤城・榛名・荒船
06:2335.4km1,466m6
  31    34  8 
2019年05月12日(日帰り)
関東
03:5638.3km1,021m5
  9    8 
2015年06月04日(日帰り)
志賀・草津・四阿山・浅間
  31    36  2 
2012年08月02日(日帰り)
甲信越
  106   
2012年05月19日(2日間)