関東
靖国神社(やすくにじんじゃ)

最終更新:banbanoike
基本情報
場所 | 北緯35度41分38秒, 東経139度44分36秒 |
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所在地 東京都千代田区九段北3丁目1番1号
主祭神 護国の英霊 246万6千余柱
社格等 旧別格官幣社・勅祭社
創 建 明治2年(1869年)
本殿の様式 神明造銅板葺
例 祭 4月22日(春季例大祭)、10月18日(秋季例大祭)
主な神事 みたままつり(7月13日 - 16日)
主祭神 護国の英霊 246万6千余柱
社格等 旧別格官幣社・勅祭社
創 建 明治2年(1869年)
本殿の様式 神明造銅板葺
例 祭 4月22日(春季例大祭)、10月18日(秋季例大祭)
主な神事 みたままつり(7月13日 - 16日)
山の解説 - [出典:Wikipedia]
靖国神社(やすくにじんじゃ、)は、東京都千代田区九段北にある神社。招魂社に起源を発し、1853年(嘉永6年)以降の国事に殉難した人の霊246万6千余柱を祀る。靖国神社では、祭神を「みたま」と称するときは、「神霊」の字を用いている。1869年(明治2年)に勅命により東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ、)として創建され、1879年(明治12年)に現社名に改称された。
九段坂の坂上に東面して鎮座しており、日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀っている。勅祭社で旧別格官幣社。主に「対外戦争の戦没者」と「明治維新前後の国事殉難者」が祀られている。また、境内は桜の名所として知られる他、大鳥居が東に向いている、数少ない神社の一つでもある。
創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括していた(陸海両軍を以下「旧陸海軍」等と略記する)が、1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により、宗教法人法の単立宗教法人となった。
ウィリアム・P・ウッダードによれば、靖国神社は戦没者の霊を祀る全国的な唯一の神社であり、昭和20年(1945年)当時には明治神宮と並び伊勢神宮以外には次ぐものがないと言われるほどの尊崇を受けていたという。かつて日本軍の将兵が戦場で死に直面した時の合言葉は「靖国神社で会おう」であった。終戦当時、靖国神社は連合国より超国家主義と軍国主義の象徴とみなされ、解体の危機にあったが、GHQによる厳格な調査と検討、神社側の努力や遺族の請願の結果、戦没者が払った犠牲の適正な公的記念を求める日本人の希望の高まりを考察して、連合国はこれら戦没者のための神社にいかなる抑圧的行動もとならないとの結論に達し、一宗教法人としての存続が決まったという。戦前から戦争直後まで宮司を務めた鈴木孝雄は「遺族の方々は神ということばの厳粛さに感じいっております。・・これは遺族の皆様に与えられる最大の名誉であります。神に列せられ、広く国民から敬われ、恐れ多くも天皇陛下おんみずから参拝いただくことは、臣下として無上の光栄とするところであります」と当時の靖国神社の性格に付いて語っている。
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