岡山市北区 京山 河津桜満開&元気な野鳥&国指定史跡



- GPS
- 04:20
- 距離
- 10.9km
- 登り
- 224m
- 下り
- 213m
コースタイム
- 山行
- 2:54
- 休憩
- 1:45
- 合計
- 4:39
歩行距離11km、歩行時間3時間、歩行数16,200歩
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
JR岡山駅からも歩いて行ける距離ですが、JR吉備線で岡山駅から一駅目の「備前三門(みかど)」駅からより近いです。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
西から津倉古墳<写真24>に向かう鉄塔巡視路は、入口から数mは急な落ち葉道で、上りでも滑りやすいです。ここを避けて南からアプローチすれば、全ルート運動靴でも大丈夫です。岡山県総合グラウンドにある遺跡&スポーツミュージアム内でGPSが切れたため、ログが一部切れ切れになっています。 封鎖された道や立ち入り禁止の場所がいくつかあります。一部寺院は見学お断りでした。ネットで情報がほとんど出てこない寺院は、檀家以外は立ち入り禁止と考えた方がよさそうです。 石井山三角点<写真21>の北西は広範囲にソーラーパネルが設置されており、フェンスに沿って歩くほかありません。三角点<写真21>の北から北東に延びる砂利道は、途中で引き返しましたが、麓の明王院まで通じているようでした。 京山へは、岡山県生涯学習センターの南にある京山登山道の看板からのみアプローチ可能です。京山ソーラーグリーンパークの開園時以外は入口が閉鎖されるので要注意です。ちなみに、開園時間は9時30分〜17時(11月〜3月は16時30分まで)、休園日は11月21日〜2月20日および5月21日〜7月20日の毎週水曜日(祝祭日や夏休み、冬休みをのぞく)です。自衛隊機F-104J<写真38>から北西に延びる道、南へ延びる道ともに封鎖されており、結局ピストンになりました。 |
その他周辺情報 | 岡山駅から近いので、食事やショッピングにとても便利です。また、池田動物園、岡山県生涯学習センター内の「人と科学の未来館サイピア」や太陽の丘公園など親子で楽しめる施設がいくつかあります。 |
写真
本堂は建坪110坪、300坪の大屋根を有する県下随一の建築物です。元文元年(1736年)に建立されました。左に見えているさすり大黒のお腹をさすりながら「南無妙法蓮華経」と唱えてお願いごとをすれば、かなえられるようです。
この仁王門から南が桜並木の参道となっています。楼上の「大乗山」の額は藩主池田治政公の書です。妙林寺は大乗山を山号とし、通称は三門(ミカド)の妙林寺と呼ばれています。中の仁王像はカラフルで新しそうでした。
ヒヨドリのくちばしは細長く、舌が長く先端部分が細かく分かれて筆のようになっており、桜の花の蜜をなめ取りやすい構造をしています。その際、前頭などに花粉を付けて受粉を助ける働きもします。彼らが頑張っていたので、最初はメジロが見当たりませんでした。
早咲きの枝垂れ桜
桜の90%以上が河津桜でしたが、鐘楼前に枝垂れ桜が咲いているを見つけました。まだ咲きはじめのようだったので、3月下旬ごろに満開になるかもしれません。これはゴール直前に立ち寄って撮影したものです。
桜の花に負けじと、枝垂れ梅の花もまだがんばって咲いていました。おかげで、桜と梅のコラボを楽しむことができました。梅のほうはもう1週間程で終わるかもしれません。ゴール前に再び立ち寄って気づきました。
明和3年(1766年)に国守八幡宮を合祀しました。明治36年に社殿が炎上し、翌37年に再建しましたが、昭和29年の台風で倒壊、翌30年に鉄筋コンクリート神明造りの本殿を再建しました。その横には磐座(いわくら)があります。この東側が少しこんもりしており、箱式石棺がある古墳というのがこの辺りだと思われます。北西にある駐車場の脇からアスファルト道に出ました。
なかなかの大木でいい香りがしていました。ヒヨドリがメジロを追い払っていました。おヒヨちゃんは大食漢なので、餌に対する執着心が強いです。餌が少ない冬場はみんなと仲良くし、見張り役を買って出るなど、決して性格は悪くないのですが・・・
ジョウビタキはチベットから中国東北部やバイカル湖周辺で繁殖し、冬になると日本に来る冬鳥です。雄はカラフルなのに対し、雌は素朴ですが、くりくりした瞳が愛らしいです。アスファルト道を進み、北上して送電線の下辺りから鉄塔巡視路の細道に入りました。
たくさんのソーラーパネルが設置された手前で右折し、フェンス沿いに東に進みました。北上すると道が怪しくなったので、いったんはあきらめて北東に向かう砂利道に入ったのですが、引き返しフェンスの脇を無理矢理通るとすぐまた細道がありました。開けたところに展望台があるはずだったのですが、よくわかりませんでした。そのかわり大きな岩があり、上から景色を見ると…<写真20>へ
この辺り一帯に張り巡らされているソーラーパネルと岡山市の中心部の景色を望むことができました。晴れの国岡山だからなのでしょうか?最近、山でソーラーパネルをよく見かけます。フェンス沿いの枯れ草道を歩き、石井山<写真21>に向かいました。
京山の南西方向にある石井山に標高76.9mの三角点(点名:伊福)が設置されていました。この北西に直接三角点に向かう道があったのですが、分岐をスルーして南下してしまい、小さな墓地から北上しました。周辺の木の幹に青色の丸いペンキマークがついており、それを辿るとありました。帰りは行きにスルーした道に入り、いったん北西に向かってすぐ分岐に出ました。
お稲荷様の背後に磐座(いわくら)らしき大きな岩があり、その上に屋根がつくられていました。アスファルト道に出ていったんは南に向かおうと思っていたのですが、鉄塔が見える方へと北東に進み、チェーンをまたいで鉄塔巡視路に入りました。急な落ち葉の登り道は滑りやすかったのですが、すぐに緩やかになりました。また墓地に出て北上すると青いビニールシートが見えてきました。
古墳のくびれ部分が見えます。全長38m、高さ2m(岡山県の埋蔵文化財の地図では45m)で規模は小さいものの、古墳形式からかなり身分の高い人物のものと思われます。岡山大学が発掘調査を継続中のようで、青いビニールシートが何か所かありました。
墓地を抜け、池田動物園の南に下りる途上で、池田動物園を見下ろすことができました。向かって左がベニイロフラミンゴ、右がヨーロッパフラミンゴです。サルの大きな鳴き声がずっと聞こえていました。
樹上に営巣し、コロニーをつくっていました。そろそろ繁殖期なので気が立っているのか、一羽が突然、もう一羽に襲いかかろうとしました。動画にも撮りました。アスファルト道に出てマンションに挟まれた尾針(おはり)神社の鳥居をくぐります。
磐境(いわさか)は神を宿らせる磐座(いわくら)とは厳密には異なるようです。磐境は祭祀を行う神聖な空間との境界を示したもののようなので、ここから南の神社本殿周辺までが神の領域ということなのかもしれません。北に下りて岡山県生涯学習センターの南のアスファルト道から京山に向かいます。
山頂えき
京山登山道はザラついた土と擬木の階段の道でした。コンクリートの階段を上り切ると山頂えきです。1956年に開園した京山ロープウェイ遊園は1998年に閉園となり、岡山スカイガーデンとして再オープンしたものの、これも2007年に閉鎖してしまいました。ロープウェイなどの設備はそのまま残されています。さらにコンクリートの階段を上ります。
グリーン・パーク
京山の頂上に立つ太陽光発電施設とクリーンルームの機能を利用した植物工場です。バジルやクレソンなどを栽培しているそうです。10名以上の団体より、予約の上、研究施設の見学を受け付けており、個人では入館できません。
北東方面(岡山中心部)
展望デッキはほとんど立ち入り禁止となっており、唯一利用できるデッキから岡山市の中心部を望みました。半田山や岡山県総合グラウンドなどが見えました。側の寒緋桜がそろそろ咲きそうでした。コンクリートの道を下り北西に向かいます。
閉鎖された岡山スカイガーデンに展示されている航空自衛隊の主力戦闘機です。全長16.7m、全高4.1m、全巾6.7mの一人乗り用です。マッハ2で飛ぶことができたようです。なぜか、上空には数本の飛行機雲が…
F-104J機の前輪の開閉部分です。配線なども一部見えています。一般人が見てもいいものなのでしょうか。ここから北の明王院へ下りたかったのですが、道は大きな金属製の扉で封鎖されていました。南は池田動物園の敷地の手前でやはり封鎖です。5分程うろうろしてあきらめ、元来た道を引き返しました。
岡山県総合グラウンド内にある津島遺跡は、昭和43年の発掘調査で弥生時代初め頃の集落と水田が全国で初めて一緒に見つかったことで大きな注目を集め、国指定史跡となりました。現在はその一部を津島やよい広場として保存しています。写真は掘立柱(ほったてばしら)建物で、右が住居、左が工房を再現したものです。この北の芝生の上をツグミが歩き回っていたので動画を撮りました。
遺跡&スポーツミュージアムの入口前の地下展示には、陸上競技場調査区で出土した弥生時代の建物の出土状況がそのままに再現されています。館内は撮影可能で、遺跡関係の展示物は弥生土器、石包丁などの農耕用具、炭化した米など、スポーツ関係は人見絹枝氏愛用のスプーンや上着の襟、有森裕子氏がアトランタオリンピックで着用したゼッケンなどがありました。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
河津桜(かわづざくら)がいよいよ見頃を迎えました。河津桜はオオシマサクラ系とカンヒサクラの自然交配種と推定されています。ソメイヨシノより約一ヶ月くらい早く咲き始め、開花期間も長く一ヶ月にわたって咲きます。気温の変化によって、つぼみが開いたり閉じたりを繰り返し、一気に咲かないので開花までが長くかかるのです。枝の下方から、だんだんに咲いていくので、満開になるまで長い間花が楽しめます。
実はこの日は5300本以上が植樹されている岡山県下最大の河津桜のメッカ、児島湖花回廊が「さくらまつり」を催していました。人の混雑が予想される児島湖花回廊を避け、岡山中心部に近い(岡山駅から2km以内)妙林寺で河津桜の花見を楽しむことになりました。妙林寺の本堂から仁王門、そして山門に至るまでの参道沿いに薄ピンク色の花をたくさんつけた河津桜が連なっており、しばらく、花見に興じました。
花が満開だと、野鳥もたくさん寄ってきます。特にヒヨドリやメジロのような桜の蜜が大好きな野鳥が絶えることなく吸蜜行動をするのを見ることができます。植物側にも、受粉を手伝ってもらえるというメリットがあるのでしょう。 ただし、花の根元から蜜のあるあたりをかじりとるスズメは吸蜜ではなく、盗蜜といわれ、植物にとってはあまりありがたい存在ではありません。しかし、どんなシーンであれ、春を告げる河津桜と野鳥のコラボは見ていて飽きることがありません。
最後に訪れたのは津島遺跡でした。写真解説でも述べたように、国内で初めて弥生時代前期の集落と水田が一緒に確認された国指定史跡です。自分たちが子供の頃は弥生時代の象徴的な遺跡として静岡県の登呂遺跡を学びました。登呂遺跡は弥生時代後期の農耕文化を伝える特別史跡に指定された遺跡です。津島遺跡は登呂遺跡よりさらに古い史跡です。陸上競技場に併設された「遺跡&スポーツミュージアム」で発掘物を見て、米作りが始まって間もない頃の生活に思いを馳せました。
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