大山南尾根 峠おかわり
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.4km
- 登り
- 744m
- 下り
- 855m
天候 | 晴れ 標高の高い場所は曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:才戸入口バス停より秦野駅行き |
コース状況/ 危険箇所等 |
大山古道はちょっとぬかるみ気味 雨の後だったのでヒルが出るかと思ったが、気温が低かったせいか見かけなかった |
その他周辺情報 | 石庄庵でおそば |
写真
感想
【20170615追記あり】
秦野市と伊勢原市を分ける大山南尾根。どうもこの尾根が気になって仕方がない。かつての足音に耳をすまし、尾根を横断する峠をふたつ歩いてみた。
現在、伊勢原から行く大山は、麓に御師の宿や土産物店が軒を並べ、禊の滝や参道なども整備が行き届き、沢山の登山客参拝客でにぎわっている。(表参道)
一方、南尾根を挟んで反対にある信仰のベース蓑毛はほとんど往時の姿を今に伝えていない。1841年の資料によると、当時すでに御師の宿の数は10(大山):1(蓑毛)であったらしいが、蓑毛は山津波と大火のせいで特に様変わりしてしまったようだ。
蓑毛バス停から下社に向けて登る。まずは一つ目の峠、蓑毛越えに向かう。
表参道に比べるとずいぶんと寂しい。入口にマス釣り場があり、春岳沢の河原でバーベキューもできるようだった。昔はこのあたりで水垢離でもしたのだろうか。蓑毛越えの手前に、大山山頂方面と別れる分岐が出てくるがそこにようやく大正の先導師の記念碑が佇むのみ。今やこの裏参道を行く登山者はほとんど見えない。肝心の蓑毛越えには現代の道標があるだけで、峠らしい風情は十字に重なる道だけだ。蓑毛越えから先、下社までの山腹には、とても現代的なものだが、石垣が現れ整備された感じが残っている。途中、かごや道をわけるとすぐに下社に出た。下社の一体どこに出るのかと思えば、登拝門の真横だった。急に人ごみの中に飛び出すが、あたりを見回しても裏参道の目立った案内もなく、他の登山者はわき目もふらず登拝門をくぐっていくばかり。裏参道はまるで神社の作業スペースかのようだった。
男坂をくだり、バス停から先の社務所まで参道の両側を見物しながら歩く。
たけだ旅館の横から大山古道(坂本道)に入る。二つ目の峠、不動越えをめざす。この道は秦野の寺山と大山の子易の集落を結ぶ生活の道であったらしい。子易から医者が往診したり、蓑毛寺山からは秦野中心部よりも子易の方が身近に感じられたりしていたようだ。
たけだ旅館がまつる龍神様(磨崖仏)を過ぎると禊の大滝が現れる。
案内板には、浮世絵と写真が残っているが、現在と比較すると水量が多いように見える。打ち捨てられたような小さな祠を過ぎくねくねと登っていくが、道幅はなかなか広い。完全な山道なのにどこから入って来たのかバイクが立ち往生し、まだどこかへ戻って行った。芭蕉の句碑を抜けるとしばらく林道歩きになってしまって少々興ざめとなる。ちなみに彫られた句は芭蕉が奈良吉野で詠んだ句であるらしい。南尾根にぶつかり少し下ると不動越え(いより峠)である。いより不動明王が鎮座し道を分けている。(※おそらく、この不動様は何度か置かれた場所が変わっているのではないかと思う)側面にはいいすみ小田原道と入っていて、このいいすみは飯泉山勝福寺の観音様のことだろうと思う。峠というのだから道が十字になっていなければおかしいと思うのだが、私の地図には道がない。目の前には明瞭な踏み跡があるが、今日は準備不足、そちらには入らず(戻らず)計画どおり寺山方面に下る。すぐにゴルフ場が現れ現代に引き戻される。
才戸のバス停まで集落を歩く。実に長閑でよい景色である。秦野の街の先に箱根連山、太平洋がかすんで見える。尾根に挟まれた集落であるのに南向きだからかここは本当に気持ちがよい場所だ。長閑な中に新東名の工事が目に付いた。奥野さんならどう思われるだろうか、と思った。
【追記】
どうやら、坂本道は現在車の通れない部分のある県道701号ということで、2009年に廃道の志がたどっておられました。
http://yamaiga.com/road/kpr701/main.html
気になるのは、折れた不動明王の追分石がどこにあったのか。
現在の位置は、このレポート時より恐らく動かされている気がする。
廃道、林鉄、トンネル、沢遡行は相性がよいのだよね。よっきれん好きだ。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する