立 山(百名山49)
コースタイム
8.23 06:00-06:30 富山08:45-9:00 室堂 09:35--40 祓堂 09:55-10:07 一の越
10:55-11:00 二の越11:30-12:15雄山 12:40大汝山12:55-13:00 富士の折立
13:35真砂岳 15:30御前小屋
写真
感想
嵐の稜線 妻と立山へ一九九○年の夏
立山に初めて登った時から、二十一年後、山を復活させた私は、迷うことなく剣も立山をその冒頭の計 画に入れた。槍・穂高と剣・立山はいつも私の想いのなかにあった。
九○年の夏、立山に妻と来る}」とができた。その時は、一ノ越から雄山に登り、別山に縦走した。三十年前に歩いたルートとは逆のコースをとった。その一、二年前だと思うが、立山で中年登山者が十数人、 十月に稜線で凍死するという事故が発生し、世間を驚かせた。中年登山ブームのはしりで、その安易な登山に非難が浴びせられた。そんな時期に、私は登山を復活させたのだ。
一九九○年八月一一十三日、私と妻は夜行バスで富山に着き、そこから電車とバスを乗り継いで、弥陀ヶ原から室堂にむかった。早朝、日の出間際の剣岳稜線は、黒々として、徐々に金色に雲が染まっていくなかで美しくいシルエットを描き出していた。
8.22 23:00池袋西武バスで富山へ
8.23 06:00-06:30 富山08:45-9:00 室堂 09:35--40 祓堂 09:55-10:07 一の越
10:55-11:00 二の越11:30-12:15雄山 12:40大汝山12:55-13:00 富士の折立
13:35真砂岳 15:30御前小屋
(美女平より室堂をめざしバスで弥陀ガ原を走る)
弥陀ヶ原のななかまどの赤い実ゆらし秋ものぼっていく朝明けの高原の空気は秋の気配を感じさせている。富山から眺めた日の出のころの天気は、青空であったのだが、バスが高度をあげていくにつれて、怪しくなり、室堂に到着したときには、どんよりとした重たい雲が立山の空を覆っていた。この年、七月に妻は初めて槍ヶ岳に登ったのだが、 台風にあい、雨に襲われながら新穂高に下山したばかりなのだ。妻をつれてのアルプスは、今回が二度目の山になるのだが嫌な予感がした。室堂についたとき、立山の空は期待に反して厚い雲に覆われていた
(室堂にて)
霧雲深く立山をつつむ晩夏悲しくてつく深い溜息
晩夏すでに過ぎているかも肌震わせる立山の霧寒
雄山に着く頃から雨・天気の回復を願って神社のお払いを受ける。雨具を装着して出発。天気が悪天になるなど予想もしなかった。霧と風と雨が激しい三千メートルの稜線には歩いている人がいない。横殴りの激しい風雨、砂礫が顔を打つ。ロープを出して裕子をつないで歩く。ともかく激しい風で立っていられないほどだ。あまりの凄さにたまらず逃げ場を探す。山道の両脇に這松が生えている。思わずその中に潜り込むと、ピタリと風の音も止み、寒さもなく暖かい。嘘のような静寂のなかでゆっくりと呼吸ができる。ここでしばし休息する。
(風雨荒ぶ稜線に)
神祭る雄山の社、雨強まって霧の稜線人動く影もない
狂う風に砂礫は雨衣をたたき青ざめる妻の顔をうつ
妻に結ぶザイル固く握る霧吹きあげてくる地獄谷より
縦走路の道標を隠す、硬張る眼は神の所在を捜す
遭難死思う一瞬、這松に逃げれば死にもにた静寂がある
をとって妻を庇う、山の嫉妬だこの風雨の荒みは
再び稜線に飛び出すと、再び、口もきけなくなるほどの緊張をしいられなる。深い霧の中、踏み跡をたよりに歩く。突然足もとに赤い屋根が浮かびでて、剣御前小屋に辿りついたと思うと、ほっとして、緊張感も緩む。剣沢まで行こうとしたが、裕子の疲れ方が激しいので御前小屋で停滞することにした。後でわかったことだが、この日は風速25メートルの風が吹いたということだった。小屋で横になると裕子は安心したのか、ぐったりして寝てしまった。時間にして三時間ほどのことであったが、槍ヶ岳の下山のときよりも緊張を強いられた。霧も深かったので、稜線で道を間違えてはならなかったし、風があまりにも強いので、裕子が飛ばされるのではないかと心配をした。この時間は実に長かった。小屋に入ると土間には室堂からきた人が、雨具を脱ぎながら、白い息を吐く。それほど気温も下がっていた。
前回の槍ヶ岳で嵐の中を新穂高温泉へ下山した記憶もまだ新しいうちに、今日の荒れ模様の天気の中の立山縦走は、緊張を強いた。その分疲れが言葉以上にました。私よりも妻の方が大変であっただろう。またもや凄い経験をさせられてしまったのだ。食事もそこそこに裕子は寝てしまった。私は比較的元気であったが、早めに繰ることにして蒲団に潜り込んだ。夜に入って雨も止み、風も穏やかになった。明日は天気も回復すると思えた。
長歌 風雨荒ぶ立山登山
室堂に 着けば、願いに 反し、肌寒く、垂れこむ 雲が
重くかこみ、夏とは 名ばかり。立山の 峰々も、灰色に
埋もれ、|ノ越への 道もか細い。緑の草原、五色ヶ原も、
薬師岳の 眺めも、そこになく、深い 霧のなかに 押し
隠される。雄山に 至れば、耐え切れず 雨は 降りだす。
雄山神社の 祈祷も 空しく、ますます 荒れて 治まる
気配もない。人影もない 縦走路、妻と二人 三千メート
ルの 山稜に その身を 曝す。稜線に 吹き荒れる 風
雨、気まぐれな 低気圧は 恐竜と 化し、妻を襲う。
怯む 妻を ザイルに 結び、励まし 庇う、時には 地
を這い、屈み、立ち疎む。大汝・富士ノ折立まで 化け物
と 格闘する。雷神、竜神の 気まぐれを 呪い、山の神
に 求める救い。這松のなかに 身をかくせば、しばしの
安らぎを える。別山越えて 小一時間、濃霧の中に、忽
然と山小屋の 赤い屋根。ああ助かった、こわ張った 頬
は緩み、疲れきった 妻の顔にも 安一堵の色が 浮かぶ。
山小屋の 濡れた戸口にたてば、人の声が 懐かしい。一
息つき 土間で 雨具を 脱げば、白く 湯気が 噴き出す。
反歌
すさ ザイル
立山の風雨荒むは神のきまぐれ妻との細綱に愛試されている
(剣御前小屋いて)
すみか
荒ぶ霧の稜線に忽然と魔王の住処か赤い屋根現れて
たどり着く山小屋の戸口中年の男遭難者の影とすれ違う
風雨晩夏を襲う夜小屋の灯に安らぎ眠る傍らの妻
8月24日
4:30起床7:00御前小屋 7:45-8:05別山 08:30-08:50御前小屋 09:50-10:15黒百合のコル
10:30剣山荘 11:20-11:30剣沢 12:15-12:30雪渓終わり 13:00真砂沢ロッジ
早朝早く起床して、夜明けの日の出を見る。室堂に陽がさしはじめて、緑色に輝く。
剣岳の上部は雲がちぎれるくらいに早くながされていて危険なので、剣岳に登ることを諦めることにする。裕子に休養をあたえないといけない。精神的ダメージ大きい。せめて、立山からの雄大な眺望を得ようと、裕子と別山まで登りかえす。昨日のルートを辿る。風は昨日のように強い。しかしまったくの青空である。黒部湖の湖面が見える。昨日歩いた富士ノ折・大汝山・雄山の稜線、後立山連峰が鮮やかだ。裕子もその光景を楽しんだ。
白馬や後立の山々が眼前に並ぶ。山々の名を裕子に説明しながら、今度は後立山の縦走だと考えた。十分に開放された景観を味わったあと、再び小屋にもどり、今日は真砂沢までの行程にしようときめた。
(別山にて)
若き日の生命あずけた青空にゆく夏惜しむ立山の峰
青空につづく山稜の道みつめれば山の生命の鼓動をきく
白馬杓子遣ガ岳唐松五竜岳鹿島槍まで澄みわたる
こうして、青春のときに登った立山は、厳しい山の一面を私たちに見せたが、翌日の空は低気圧の通過した後の澄み切った空の色であった。妻には思わぬ出来事になったが、何事もなく過ごせてよかった。
別山からもどり、いよいよ念願の仙人池へ行くことになる。
「剣岳」の章と後先の話になるのだが、妻と登山したはじめの頃の厳しい思い出は大切におきたいので、短歌紀行として書いた。コースは一九六八年に別山から雄山に縦走し、室堂に下りているので、大縦走は繋がっていることを断っておきたい。
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